がっこうは

 

アリストテレスを読んでいると、
子どものころのことが色々いろいろ思い出されてきます。
アリストテレスは、
リュケイオンという学校をつくり、
そこで万学の礎となる思索と講義を行いましたが、
翻訳をとおして、
その息吹が二十一世紀のいまにまで及んでくるような気がします。
国語、算数、理科、社会、それに、音楽と体育、
ぼくにとってのリュケイオン、
学校てところは、
こういうことを勉強するんだ、
と思いました。
こういうことを勉強すると、
働いて、
おカネをもらえるようにぼくもなるのか。
なんか不思議な気もし。
にしても、
どうしてこんなふうに分かれているのだろう。
だれが決めたんだろう。
「世界」も「自然」も、言葉としてまだ知らないとき、
家と学校の往復の道々、
ぐるりをとりまく山々を見やりながら、
ぼんやりそんなことを考えていたように思います。
田舎の逍遥学派。
きよあき君は友だち。
そのころ出会ったのが伊藤陽子せんせー。
小学一年の時の担任でした。

 

・泥ぬるり素足の指の間から  野衾