くさむら写真

 橋本照嵩来社。写真集『北上川』の下版前最終チェックと次の写真集『叢(くさむら)』のための写真を持ってきてくれたのだ。
 かつて『アサヒカメラ』に連載、さらに、ミノルタがスポンサーになって写真展も開いたそうだが、まだ一冊にまとまっていない。前から見たいと思っていたものだ。橋本さんが床にずらり並べた大判の写真から強烈な草いきれが立ち昇ってくるようであり、青草、枯草の匂いに包まれた子供の日のわけのわからぬもやもやした歓喜が一気によみがえる。くさむらの草は生そのもの、欲情せずにはいられぬ。女の裸を初めて見たのも川で泳いだ後のくさむらだった。左官屋の娘。水玉が弾かれるようにわたしの青い視線も弾かれた。ク〜ッ!
 それはともかく、くさむらの「くさ」はもちろん「草」だが、臭いの「くさ」であり鎖の「くさ」であり腐るの「くさ」でもある。一方、くさむらの「むら」は、村田製作所の「むら」であり人形師辻村ジュサブロウの「むら」でありローズ・ムラムラの「むら」でもある。なんのこっちゃ。分かる人には分かる。分からない人にはさっぱり。
 というわけで、この叢写真、匂いの写真家橋本照嵩の真骨頂ともいうべきものだろう。編集者の腕が鳴る。闘志がむらむら湧いてきちゃ!!

誤植

 記憶が定かでないので固有名詞は控えるが、日本を代表する有名な国語辞典の新版が出たとき、誤植が二十数箇所見つかった中に、「誤植」が「娯植」になっていたという、話としては出来すぎの、もしそれが本当なら、作り手としては冷汗ものの誤りがあったという事実を聞いたか読むかしたことがある。出版社として誤植ほど恐ろしいものはない。
 わが身の恥をさらすようだが、小社の本にももちろん誤植はある。本が出来た後で気づくこともあれば、読者から教えていただくこともある。正誤表を入れるか増刷の際に直すしかない。最近の例では、朝日新聞の書評欄にも取り上げられたソローの『ウォーキング』だが、「西漸」の言葉が「西斬」になっている箇所があった。東に興った文明・勢力が次第に西方に移り進むという意味の「西漸」が、進んだ先の西を一刀両断のもとに「斬」って捨ててはいけなかった。さんずいがあるかないかの違いに過ぎないが、意味ということになればこれほど違う。
 わたしが先日下版した『新井奥邃著作集』のパンフレット、完璧だと思っていたのに、色校正紙が出来てきたのを見て、読点「、」が間抜けにもダブルで「、、」になっている箇所を見つけた。本『著作集』の特色として「別巻には○○○○を収録し、研究の便宜を図った」と当初していたところに「研究」だけでなく「読解」という言葉も入れるべきと判断し、入れるのはいいが、よけいな読点まで入れてしまい、「別巻には○○○○を収録し、、読解、研究の便宜を図った」となっていた。厳めしい漢文調なのに「、、」は相当間抜け。急いで訂正し、正しい版下を印刷所の人間に渡した。