何度でも

 言葉でも状況でも、日によって月によって年によって重なることがあっておもしろい。悪いことは重なる、泣き面に蜂、などという言葉もあるが、重なるのは何も悪いことばかりではない。
 昨日、岡山の衣笠先生から電話があり、なつかしい元気な声を聞かせてもらった。いろいろうかがった中で、ありがたいと思ったのは、ウチでつくった先生の『衣笠澤子の世界 押花・野の花の饗宴』につき、読んでくださった方が何度でも見返したくなる、との感想を持たれるということ。出版社としてこんな嬉しいことはない。また、この度の鈴木みどりさんの『ユウ君とレイちゃん』も、先生ご自身同様の感想を持たれると。先生は、カメラマン橋本照嵩の撮影現場に立ち会って以来の彼のファンで、写真集『北上川』の完成を心待ちにしておられる。『北上川』も間違いなく再読三読に耐えられる、どころか、ページを繰る回数に応じて深く滋味が感じられる写真集になる。
 埼玉の男性から電話があり、若頭ナイトウに「わしゃあ老人だけんども、『大河ドラマ「義経」が出来るまで』ちゅう本をおもしろく読んでおる。おもしろいんで二回読んだんだが、老人じゃからわからないところがあるけん、教えてもらいたいのじゃ。ディオニュソス的とは何のことじゃ」と言ったそうだ。男性、みずから「老人じゃから」と名乗り、あっはっはと笑ったというが、二回読んだというそのことが嬉しかった。
 何につけ、お客さまから教わることは多いが、再読三読に耐えられる本、つまり情報に還元できない、傍に置いて長く味読できる本を作りたい。奥邃は自分の書いた文章について「再読無益なり」と言ったけれども、それはまた別の話。