新刊三点

 『刺青墨譜』『北上川』『赤十字の父 アンリー・デュナン』と三点つづいて、できてきた。
 統一は取れていない。不統一の統一。自嘲でなく、そこがウチらしいのかもしれない。いろんなものを手作りで作るから、楽しいし、それぞれに愛着がある。本も商品だから売れなければ意味がないけれど、六年やってきて思うのは、宣伝広告費(ウチは微少)を使って不特定多数に売るよりも、まず著者に喜んでもらえる本作りが一番だということ。著者が喜んでくれれば、それが核となって必ずじわりと反響が広がるものだ。そういう売れ方についてならカウントできる。そのことを大事にしたい。
 きのうの夜、『刺青墨譜』の著者である斎藤さんが奥さん同伴で来社された。筑波に用事で行かれた帰り、貴重な時間を割いてわざわざお礼にみえられた。ありがたかった。こちらこそ、いい本を作らせてもらってありがとうございましたとお礼を申し上げた。別れ際「これからもよろしくお願いします」と挨拶すると、斎藤さん「こちらこそ」と。頭を下げられたその姿勢が決まっていて身に染みた。
 今日はまた元気じるしの橋本照嵩が来る。写真集『北上川』の出版を記念し内輪のパーティーをやることになったのだ。橋本さん、故郷石巻の笹カマ屋に連絡し、笹カマを本日着で送ってくれた。笹カマは仙台がつとに有名だが、元々は石巻が産地だそうで、そこに仙台の資本が入っていったということらしい。
 橋本さん、入口のドアを明けると、「よっ。よっ」と手を上げみんなに挨拶しながら真っ直ぐわたしのところまで進んできて「どうもどうも」と言って右手を差し出す。わたしも右手を差し出して握手。それが毎度恒例になっている橋本さんとの挨拶。

模様替え

 社員が増えたことに伴い、より機能的に仕事をするべく室内を全面的に模様替えした。移って来た当初、人数が今の半分だったこともあり、「なんだ、ずいぶんだだっぴろいなぁ」の感想を持ち、椅子や机やパソコンをどんな風に配置しようがスペースは十分余っていると思われたのに、これをこっち、あれをそっち、パソコンはここと、みんなで知恵を出し、やりくりしなければ立ち行かなくなった。縁あって集う一人ひとりが誰も仕事から疎外されず、自発的に仕事のできる環境を維持したい。
 ところで、おいらの机は元のまま。に対して、壁際に並ぶ編集部の机がぐいと押されたことにより、武家屋敷の机が限りなく窓へ近づき、おいらを左後方から眺める(?)位置に来た。いままで、みんなに隠れて何かしていてもバレなかったのに、これでは動物園のゴリラ状態。ひたすら仕事に没頭するしかない。どうしてもというときには、机の下に潜ればいいか。
 それはともかく、模様替えした後の部屋をおいらの位置から眺めると、前に比べてさらに整然としたためだろう、遠近法が効いて、入口がはるか遠くに見える。喩えて言うなら、秋と冬。それぐらいの隔たりを感じる。なかなかだ。

 急に。きのう、おとといまで暑いなぁと思っていたら、ほんとに急に、涼しく、というか、寒く、なった。
 朝、会社まで歩くようになってまだ二週間しか経っていないが、坊主頭がいかにも野ざらし状態でいたところ、先日テレビで米倉斉加年さんが帽子を被っているのを見、そういえば、ウチのたがおも千葉修司も帽子を被っていたことに思いあたり、嬉し恥ずかし帽子を買って、ひょいと頭にのせて歩いている。いままで空あたまだったのがいきなり帽子では可笑しかろう。笑う人もいるけれど、概ね好評でまずは一安心。帽子を被るなど何十年ぶりか。中学のときの学生帽以来だから相当なもの。
 新しいことを始めるのは、いくつになっても少しワクワクで嬉しいものだ。

生きる不思議

 斎藤卓志『刺青墨譜 ―なぜ刺青と生きるか』完成。写真をふんだんに入れてはいても、これまでのいわゆるビジュアル系「刺青本」と異なる本をと念じてきた。民俗学の谷川健一さんからいただいた推薦文中「殉教者の法悦境」という言葉があり、これだと思った。愛知県で見つかった人面文土器の模様を現代人に再現したメークをアレンジした装丁は、「殉教者の〜」と相俟って、刺青と生きる不思議を演出している。
 刺青に興味を持たない人間にとって、刺青をしている人の気持ちはなかなか分かり得ない。斎藤氏は、聞き書きという手法によって、その辺のところを丁寧に掘り下げ記述していく。著者の案内にしたがい読み進むうちに、刺青をする人の気持ちがだんだんと見えてくる。というよりも、いままで蚊帳の外だったはずの刺青が次第に親しいものに感じられ、「刺青」という形はたとえとらなくても、そこへ向かうこころの志向性は誰にとっても了解可能と思えてくる。自分で編集して言うのもなんだが、この本は、「刺青」という一見特殊なテーマを扱いながら、だれもそこから逃れられない「生きる不思議」について解き明かし普遍へ至ろうとする労作だと思う。
 撮影のために伊勢佐木町から来社された姉妹が、撮影終了後の打ち上げで、「刺青が偏見なく見てもらえるようになったらありがたい」と言ったのが耳に残っている。

瞬間冷凍マジック

 このごろ流行りのマジックスパイスのカレーをインターネットで注文し食してみた。店で食べるのとほぼ同じという触れ込みどおり確かに美味い。が、当然のことながら「ほぼ同じ」であって「全く同じ」ではない。旨みについてどうこう言うつもりはない。さすが瞬間冷凍のなせる技と驚きもした。が、なんだろう。なにかが違う。どこがどうと指摘するのは難しい。全体的な問題で、要するに「キレ」。
 スープカレーのキモは、スプーンに薄く掬い上げたひとくち目のスープを口中に含んだときのスパークする辛さにあるとわたしは思っている。その瞬間が決め手なのだ。あとから美味さがぐいぐい押し寄せてくるとしても、立ち会いにおけるキレと美しさがなければスープカレーとしては一段劣る。スタートダッシュで出遅れた馬が後からいくら追い上げても、結局鼻差で負けるようなもの。
 噂によれば、マジックスパイス下北沢店では平日の夕方でもずらり人が並ぶそうだから、それを考えたらネット注文も偶にはありと思うが、瞬間のキレを楽しむためには、やはり直接足を運ぶしかないかと諦めた。

ライフスタイル・ウォーキング

 自宅から会社まで歩くようになったことがきっかけで、「歩く」「散歩」「ウォーキング」に興味を持ち始めたら、ちょうどタイミングよく『医師がすすめるウォーキング』(集英社新書)という本が出ていて一気に読んだ。著者は泉嗣彦さんという方で、データをあげつつ、歩くことがいかに体と健康にいいかを実証的に説いている。そんなにいいウォーキングだから、一時的なものに終わらせず、ライフスタイルに組み込むことが重要とも。
 ところで、本に書いてあることで「へぇ〜」と思ったのは、昔の日本人が平均3万歩ぐらい歩いていたということ。それに比べ今の日本人は5千歩ぐらいとか。約6分の1。言われてみれば、そうかもなぁと思う。
 たとえばわたしが小学校時代、送迎バスなどという気の利いたものはなく、雨が降っても風が吹いても、上級生を先頭に二列に並び、学校までひたすら歩いたものだ。集団登校。ああいう姿を写真に撮っておいたらおもしろかったろうなぁ。片道1万歩×2で2万歩。それに子供にとっては遊びが仕事で、それに費やすのが約1万歩。合計3万歩。なるほど、納得できる数字だ。たしかに、あの頃は子供だけでなく大人もよく歩いていた。昔は、都会の人よりも田舎の人のほうが歩いていたのじゃなかろうか。今はどうか。どこへ行くにも車、車で、むしろ田舎の人のほうが歩かなくなっているかもしれない。
 ちなみに著者の泉さん、プロフィールに一九四三年生まれとある。熊本の田舎育ちで、歩くことに抵抗がないばかりか、景色を見ながら歩くことが元々お好きな人のようだ。

ウォーキング

 朝、会社まで歩く途中でハトの群れに出くわした。最上段の電線にズラリと並んでいる。ざっと数えて七十羽はいたろう。一箇所にこんなに集まるのは珍しいと思ってしばらく見ていると、道路沿いの町工場からおじさんが出てきて、トウモロコシのほぐしたのを道端にまいた。ははぁ、これをハトたちは待っていたのか。ところがハトたち、すぐには降りて来ない。餌をあげたおじさんとはまた別の半ズボン姿のおじさんがわたしに近寄って来て「どうされましたか」と訊くから、「ずいぶんハトがいるなぁと思いまして…。降りて来ませんね」と答えた。「警戒してるんでしょう」
 おじさんに挨拶をし、ハトを横目で見ながら通り過ぎ、少し離れたところから見ることに。数分は「おらたち、餌なんか見てないよ〜」みたいな感じだったのが、1羽が最上段からすぐ下の電線に降り、さらに下の電線に降りると、引きずられるように数羽が後から続いた。最初の1羽がついに電線を離れ木の葉が舞うように地面に降りるや、あとは、なだれを打ったように次から次と地面に舞い降り、餌をついばんでいる。いったん食い始めたら、今度はすぐ傍を自転車が駆け抜けようが通行人が通ろうがお構いなし。こんな光景を見られるのも歩いて入れ歯こそ。いや、いればこそ。あはは…。しばらくウォーキングに凝りそうだ。