暮らしの匂い

 カメラマン橋本照嵩の『北の大河 〜もうひとつの北上川物語』をビデオからDVDに落として再度観た。ビデオは、これからいろいろ用途があり、ロシアの映画監督ソクーロフさん(来日された折のレセプションで一度お目にかかり挨拶した)にも、ぜひプレゼントしたいと思っている。ダビングを業者に頼んだのが上手く行かず、やり直ししたのがようやく昨日できてきた。
 再度観たのには理由がある。橋本さんが言い出しっぺとなり運動としておもしろく広がっている「石巻広域圏ふるさと文化1000円基金」の機関誌『牡・石・桃(おいしいもも)』へ『北の大河』を観た感想を書いてほしいと頼まれたからだ。
 間もなく刊行される写真集『北上川』に「橋本照嵩を推す」というタイトルで、十数年の付き合いの中で見えてきた橋本さんについての「橋本照嵩論」を書かせてもらったが、それは一言でいえば「匂いの写真家」ということだった。そんなこともあってか、意識がおのずと「匂い」に向く。90分の映像の中で橋本さんは「匂い」という単語を二度発している。最初は、服のままうつぶせに川に浸かり、顔を上げ、手のひらで顔を拭い、「おお、川の匂いだ」と。二度目は、狭窄部の上り坂をリヤカーを引き引き歩き、山肌にへばりつくように建っている古い民家の二階に上って「ああ、これは昔の匂いする」と。
 「橋本照嵩を推す」の中で私はまた、橋本にとって「匂い」は「この世とあの世を結ぶ糸のようでもある」と記した。盆に揺蕩(たゆた)う線香の匂いに引かれ、なつかしいご先祖さまの霊が戻ってくるというイメージは、日本人にとっては違和感のない、むしろ馴染みあるものだが、少年橋本の魂は祖霊たちに導かれるようにリヤカーを引きつづける。
 橋本は映像の中で、これも二度、川に向かい「き〜た〜が〜み〜が〜わ〜」と叫ぶ。それは、いま目の前を悠々と流れる川へ向かいつつ、同時に、過去から現在へ流れこむ川と、そこで暮らした無名の人々への鎮魂の叫びとも聞こえる。蜆(シジミ)漁で母と弟を亡くしながら、それでも漁を後世へ伝えようとする男性から話を聞いた後で、上流へ向かうリヤカーを引きながら橋本は、「北上川の豊かさと怖さを教えられたような気がします」と語る。自然と共にある暮らしの重みを改めて考えさせられた。