リリー・クラウス

 

わたしもモーツァルトを聴いてみた。モーツァルトとなれば、
世にレコードもCDも多くあり、
なにからどう聴けばいいのか、おそれをなしているような時期がありました。
小林秀雄の『モオツァルト』をはじめとし本も多いし。
そういうたぐいの本を読むと、
それが聴き方のお手本みたいな気にもなり、
そんなふうには聴こえてこないなぁ、みたいな。
ということでまずはピアノ・ソナタから。
結局、ひらきなおるような気分のときに出合ったのがリリー・クラウスでした。
ライナーノーツだったか、
あるいは本のなかにたしか「若鮎のような」
という比喩が使われていたとおもうのですが、
それは、
わたしが感じたところと近い気もした。
『リリー・クラウスの芸術』として発売されているシリーズものを購入し、
気に入って、ずいぶん聴き込みました。
するとまた、どんな人生を送られた方なのかなと、
いつものクセがでて、
多胡吉郎さんの『リリー、モーツァルトを弾いて下さい』(河出書房新社)
を読みました。
読んでみて、書名の意味をふかく納得。

 

・秋色や模型飛行機峪を越ゆ  野衾

 

藤圭子

 

とりとめもなくこれまで聴いてきた歌とかその歌い手をとりあげていますが、
藤圭子も、テレビをとおしてリアルタイムで見たり、
聴いたりしていたときは、
好きも嫌いもなく、なんとなく暗い感じの人だなぁ
ぐらいにおもっていました。
それからぐるぐるぐるぐると、いろんな音楽を聴いてきて、
たまたま藤圭子の歌を聴いたとき、
いいなぁ、うまいなぁ、とおもったわけです。
すこしかすれ気味の声も魅力に感じて。
なににたいしてもですが、
知っていることと、
じぶんの体験としてスイッチが入ることとはまったく別物のようです。
そういうスイッチが入ったあとで藤圭子の歌を聴くと、
上手い下手を超えた、なにかチクチクした切なさだとか、だけど、
ほの見えるひかり、喜び、セリフのあとの余韻のようなものも同時に感じられ、
そうなると、
どういう人生を送ってこられたのかなぁと
あらためて興味をもち、
沢木耕太郎が藤圭子にインタビューした『流星ひとつ』を読み、
腑に落ちるところがありました。
藤圭子の歌の底流に、来歴からいっても、
浪曲があるのは納得します。
チクチクや、ほの見えるひかり、喜び、余韻は、
浪曲のそれだったのかなぁ。

 

・稲刈りやざくざくざくと見てる間に  野衾

 

マーヴィン・ゲイ

 

なんでもそうだとおもうのですが、なにか一つのものが気に入ると、
そのつながりで次のものも、見たい、聴きたい、読みたい、
あるいは、嗅ぎたい、食べたい、となるようです。
本を読まなかったワラシ(=わたし)が、夏目漱石の『こゝろ』を読んで衝撃をおぼえ、
その後、漱石のものを文庫本でむさぼるように読みました。
飛び火して芥川龍之介に行ってみたり。
外国まで飛んでドストエフスキーに行ったり。
こころの旅のはじまり。
ところでマーヴィン・ゲイ。
もとをただせば、スティーヴィー・ワンダーなんですね。
それから、先へ行ったり、あと戻りしたり、
ゆっくりいろいろな方向に糸をたぐっているうちに、
行きあたった一つがマーヴィン・ゲイ。
いろいろあるなかで、
わたしのお気に入りは、I WANT YOU。
アルバムタイトルにもなっている、この曲のイントロを聴き、
ふるえました、ほんと。
かっこいいっ!!
おさえぎみのシャウトがまたかっこいい。
ようするに、ひと目ぼれ、ならぬ、ひと聴きぼれ。
そういうわけで、
これがまたわたしのお気に入り地図の一つの拠点になりました。

 

・奥入瀬のせせらぎの音秋日かな  野衾

 

二葉百合子

 

いま見なくなりましたが、わたしが中学・高校のころ、
自動車のなかで音楽を聴くのに、
割と大ぶりのカセットテープがあり、それをガシャッと機械にセットしたものでした。
家にラジカセもオーディオのセットもありませんでしたから、
じぶんの好きな音楽を聴くには、
父が運転する自動車のオーディオのみ。
オリビア・ニュートン=ジョンも、そういうかたちで聴きはじめたのですが、
同時に二葉百合子も。
「岸壁の母」は、菊池章子の歌唱が先ですが、
そのことを知ったのは、だいぶあとになってからで、
もっぱら聴いていたのは二葉百合子の「岸壁の母」でした。
そのころまさかじぶんが二葉さんご本人にお目にかかり、
インタビューすることになろうなどとは思いもしませんでした。
丹羽文生さんといっしょに、
いくつかのジャンルの人にインタビューし一冊にまとめたのですが、
二葉さんには、わたしがインタビューしました。
『情熱の素』(じょうねつのもと)という本になりました。
2005年8月の刊行ですから、
いまからちょうど20年前になります。
そのとき聞いた話で、印象にのこっているのは、
マネージャーをつとめている旦那さんが舞台のそでで聴いていると、
「岸壁の母」を年に何百回となく歌っても、
お、きょうは声が出ているな、いい感じだな、とおもえるのは、
二、三度くらいしかないのだとか。
旦那さんがそういうことを語っていたと
二葉さんからうかがいました。
なるほどなぁ、そういうものかもしれないなぁ、とおもいました。
二葉さんと同年齢の秋田の父も、
二葉さんの歌が大好きですとつたえると、
ニコッとされたのをなつかしく思いだします。

 

・新涼やふるさとさらに新しく  野衾

 

三波春夫

 

三波春夫の歌を聴き、いいなぁとおもうようになったのは、
五十歳をとっくに過ぎてからでした。
オーディオのプリアンプを買い替えるとき、
そのころよく聴いていたサム・クックのCDを秋葉原にあるオーディオ・ショップに
持参し、いくつか聴き比べをして購入したのですが、
決め手は、そのアンプに換えたとき、
サム・クックの声が、まるでシャワーのように感じられたことでした。
気持ちいいなぁ。
三波春夫の声も、それに近いところがあるとおもいます。
とくに「船方さんよ」。

 

♪おーい船方さん 船方さんよ

 

で始まりますが、
「おーい」の「お」が、出だしの音をちょっと食うように感じられます。
一番、二番、三番の歌の出だしはどれも
「おーい船方さん 船方さんよ」。
それがなんとも遠くからの呼び声であるとイメージされる。
明るく広く、元気で、のびやかな世界観。
それが三波春夫の声にあらわれている気がします。

 

・秋めくや湖畔艶やか乙女像  野衾

 

三橋美智也

 

わたしにとりまして、歌といえば、なんといっても三橋美智也。
三橋美智也のまえに歌は無し。
三橋美智也のあとに歌は在り、
なんて。
小学校に入るまえから、三橋さんの歌に親しんでいました。
父や叔父がよく歌っていましたから。
父も叔父も、のびのび歌い上げ、それなりに上手かったと思います。
村田英雄の声について、おとといここに書きましたが、
三橋美智也の声はというと、
なんともなめらかで、
ちからが抜けていて、聴いていて気持ちいいことこの上ない。
下の写真はCDですが、学生のころはレコードで聴いていました。
訪ねてきた友だちがそれを耳にすると、
例外なく、
こんなのを聴くの?と驚いたものでした。
母が生前、三橋美智也の歌を聴き、しみじみ、
「このひとのうだっコ聴げば、世話してもらえるような気がするな」
とつぶやいたのを忘れられません。
それぐらい三橋美智也の声は、こころの奥深くに沁みてくる、
ということだったのでしょう。
歌の上手い人はいっぱいいて、
もちろん三橋さんも人後に落ちず上手いわけですけど、
歌を支える声がなんとも言いようがなくすばらしいと思います、
谷に湧きでる真清水のごとく。
小椋佳さん、堀内孝雄さん、五木ひろしさん
をはじめ、
多くの人が三橋美智也をリスペクトするのも宜なるかな、
という気がします。

 

・日を迎へ日に向かひゆく秋茜  野衾

 

花に氷コ

 

秋田では、物の名にコをつけてよぶことが多いのはよく知られています。
お椀は椀コ、茶碗は茶碗コ、お茶はおぢゃっコ、牛はべごっコ等々。
なので、冷蔵庫でつくられるキューブの小さい氷は氷コ、
または氷っコ。
氷コ、氷っコは、秋田でも一般的ではないかもしれません。
が、ここ横浜で、キューブの氷をなんとなく氷コ、氷っコと呼びたい気がし、
そう呼んでいます。
郷愁のこころがそうさせるのかもしれません。
前置きはこれぐらいにして。
和室の東側のコーナーに低い棚をセットしてあり、
そこに、
ことし一月に他界した母の写真を小さな額に入れて置いています。
ときどきコンビニで切り花を買ってきては、
花瓶に挿して飾ります。
花瓶に水道水を適量入れて切り花を挿すだけですが、
八月の半ばぐらいでしたでしょうか、
しおれるのがちょっとはやいような気がし、
水道水を入れたあと、冷蔵庫の氷コを二、三個ためしに入れてみた。
すると、あきらかに持ちがよくなった。
なるほどねぇ。そうだよなぁ。
猛暑、酷暑、危険な暑さは、なにも人間だけにかぎらない。
切り花だって、
ぬるい水より冷たい水のほうが気持ちいいにちがいない。
ほんのちょっとしたことですが、
すこしだけ感動しました。

 

・待つこと久し風ややうやう秋を連れ  野衾