いまはペーパードライバーですが、かつてじぶんのクルマをもち、
けっこうドライブをたのしんだ時期もありました。
好きな音楽をかけながらのドライブは、たのしいものでした。
小椋佳の歌は、クルマを運転するまえから好きで聴いていましたが、
クルマを運転するようになって、ますます聴くように。
小椋佳のつくった歌で「シクラメンのかほり」があります。
これは、布施明が歌うのをさきに聴きました。
圧倒的な歌唱力で歌い上げるものだから、
歌詞にある「二人を追い越してゆく」時が、台風のようにも感じられ、
それはそれで、
時というもののあるイメージを喚起されました。
布施明の歌う「シクラメンのかほり」の印象があまりにつよかったため、
小椋佳の歌う「シクラメンのかほり」は、なんだかひ弱な感じで、
意表を突かれた。
しかし、聴けば聴くほど、小椋佳の「シクラメンのかほり」のほうが、
詞の内容にぴったり合っているとも感じられ。
小椋佳が若いころ、北原白秋の歌や詩をよく読んでいたことを知り、
腑に落ちた気がしました。
「木戸をあけて 家出する少年がその母親に捧げる歌」
というのがあり、
秋田の実家で、親戚があつまった折、
「おみゃ(お前)も、なにがうだえ」と叔父に言われ、
「木戸をあけて」を歌いました。
とちゅう、こみ上げてくるものがあり、歌えなくなったのをおぼえています。
・たれもみな迷子の歩み大花野 野衾

