さまざまのこと 19

 

小学校の行き帰りに、知ってはいるけれど、その道を行くとどこへ行くのだろうと、
先が分からない道がありました。
わたしの家を出て、集団登校で学校へ向かう道は、
仲台からはじまって坂道をくだり、寺沢から葹田(なもみだ)へと至る。
小学校は葹田にありました。
と、
学校をちょっと過ぎたところから横へ入る小道があることは知っていて、
全校一斉の写生会の折などに、すこし入り込むことがありました。
が、
その道の方角に、遊ぶ友だちはいなかったし、
親から用事を言いつけられることもなかったしで、
その道をちゃんと歩いて、
それがどこへ通じているのかを確かめることなく来てしまいました。
その道をとおって学校へ来る一年先輩の髪のながい色白の
おとなしそうな女子がいました。
名前も分かりませんでしたが、写生会の折にでも、
その子がその道を歩いて帰る姿を目にしたとか、そういうことでなかったかと思います。
話したことなどもちろんなく、名前も知らぬひとですが、
道の先が分からないことと重ね、
美しいひととして、わたしのなかにずっと居つづけています。
二年前になるでしょうか、
帰省した折、
晴れた日に家を出て、
あたりの景色を目で触れるように眺めながら歩きました。
寺沢を過ぎ葹田へ。
道の左手にあった小学校の建物はすでになく、夢の跡を風が吹きすぎます。
さらに歩いて、知ってはいても
ちゃんと歩いたことのない道をはじめて歩きました。
光がさんさんと降りそそぎ、
あいまいなところのない道がしずかに蛇行しています。
左手は田んぼ、右手の家々はやがて終り、草深いみどりが丘になっています。
時間の霧が晴れていき、きらきら輝くようでした。
道は上りにさしかかり、
息を切らして登っていくと、ようやく知っている道へと至ります。
わたしのなかの二次元の地図は完成しました。
しかし、一年先輩の女子がかよった四次元の美しい道は、
そのままの印象として、
これからもつづくことになりそうです。

 

・待ち人を待つ心地して夏燕  野衾

 

さまざまのこと 18

 

小学校の高学年、四年生、いや五年生のときだったかな、切手収集にいちじ凝った
ことがありました。
葹田(なもみだ)の同級生Mくんと親しくしていたことがあり、
Mくんのえいきょう、というか、Mくんが集めていたきれいな切手を見て、
まねしてみたくなったんだと思います。
いろいろ集めました。
どんなものでも、集めはじめるとおもしろくなりますが、
集めているうちに、知識もだんだん増えてきて、
おもしろさに拍車がかかります。
いつもながらの楽しみ、父と母と弟といっしょに秋田市に遊びにいったとき、
切手を収納するファイルを買いました。
そんなに高価なものではありませんでしたが、
表紙が濃紺、台紙が黒で、
切手を収納するためにページごとに透明なビニールが施されていました。
すでに持っている切手であっても、ファイルに収めると、
台紙が黒だったせいもあり、
なんだかとても立派な切手に見え、
じぶんがいっぱしのコレクターになった気がしたものです。
趣味週間、国際文通週間の記念切手のうち、何枚かは手に入れて持っていました。
趣味週間の見返り美人とか、写楽とか、月に雁など、
いいなぁ、ほしいなぁ、とカタログを見て思ったものですが、
いずれも高価で、
じぶんのものにはできませんでした。
めずらしい高価な切手の一つでも手に入れていたら、あるいは、
もう少しながくつづいていたのかもしれませんが、
濃紺のファイルを使いきるまでには至らなくて、
いつのまにか興味が失せてしまいました。
春風社を起こしてから、いちじ体調をこわして、昼、
ドジョウ鍋を食べさせてくれる野毛のお店にひんぱんにかよった
(それだけがおいしく食べられました)
時期がありましたが、
その店の二階に上がる階段の横に、
菱川師宣が描く見返り美人図が額装されているのを目にし、子どものころ、
短い時間でしたが、
切手収集の趣味があったことをにわかに思いだしました。

 

・母笑むよ屋根の上なる夏の空  野衾

 

さまざまのこと 17

 

小学校のときに、なべっこ遠足というのがありました。
なべっこ遠足の「なべ」は鍋。鍋っこ遠足というわけです。
食材を持って生徒と先生たちがいっしょに出掛け、川べりで煮炊きをします。
わたしの班は「だまっこ鍋」。
つぶしたご飯をまるめただまっこ、鶏肉、ゴボウ、セリ、マイタケ、ネギ、醤油など。
Aさんはだまっこ。Bさんは鶏肉。Cさんはゴボウとセリ、
というふうに。
わたしは事前に母か祖母に言って、
わたしも手伝い、だまっこを用意してもらいました。
いったん学校に集まり、
それから目的地に向かいましたが、
とちゅう、じぶんの家を横に見て歩くことになりますから、
「ほら、そこがオラの家だよ」と、ちょっと恥ずかしいような、誇らしいような。
井内を越え、長いゆるい上り坂を越えて歩き、
やがて大台に至ります。
さらに歩くと道がだんだん細くなり、山々が迫ってきます。
くねくね曲がる山道を、
あたりの景色に触れながらクラスの友だちと歩くのはなんとも楽しく。
水がちょろちょろ流れ落ちる沢を越えると、
大きな一本杉があり、
そこから川べりに下りる細い道がありました。
一列になり、そろり静かに下りていきます。
川べりにはゴツゴツした大きな石が顔をそろえ、
場所によって小石や砂の平地もあります。
煮炊きをするには、
大きな石をうまくつかって、にわかづくりの竈を用意します。
水はどうしたんだったかな。
持って行った記憶がないから、
たぶん川の流水をつかったのだと思います。
班ごとに用意してきた具材を用い、自然の景色にかこまれ、自然の音を背景に、
みんなして火を焚き、料理を作り、鍋をつつきました。
野外で火を燃やすと、
どうしてあんなにこうふんするんだろう。
つくった料理は、先生たちにもおすそ分け。
その後、中学、高校、大学へとすすみ、
社会人になっても、
ふるさとへ帰り、山菜採りなどのためにその場所を通るとき、
かならず思いだすことになります。鍋っこ遠足。

 

・切通し弁天様の五月かな  野衾

 

さまざまのこと 16

 

小学校への登校は地域ごとの集団登校。先頭の六年生以下、
きちんと二列に並んで歩いたものです。
授業開始まえに体育館でのあそびの時間もありますから、
寄り道をすることはありません。それにくらべ、下校となると、寄り道、道草、
なんともたのしく、ワクワクしたものでした。
「キリストはすぐに来る」という、
黒い地に白い文字で記された意味ふめいの看板を見たのは、
営林署の事務所のあった寺沢という場所でしたが、
そこに、
とても優秀なセンパイがいるということをクラスの友人Yくんから聞き、
おそらくYくんといっしょに訪ねたのがさいしょだった
と記憶しています。
センパイは、こころよく、
じぶんの作ったものをいろいろ見せてくれましたが、
そのなかにUコンの飛行機がありました。目を奪われました。ひとめぼれ。
じぶんで作る飛行機といえば紙飛行機ぐらいしかなかったのに、
Uコンは、
小型ながらちゃんとエンジンが付いていて、飛ぶのに燃料が要る。
金属のワイヤー二本に引かれはするものの、
爆音をたてて大空を舞う。
烏がおどろいてギャーギャーわめき散らす。
センパイがあやつるUコンの飛行機に見入り、魅せられ、
さっそくじぶんでも作ってみたくなった。
こづかいをためてUコンを買ったのは、それからどれぐらいたっていただろう。
学校から帰るや、時間をかけひたすら作った。
やがて機体が完成。
と、
へんな想像がわく。ワイヤーを付けずに飛ばしたら、どこまで飛んでいくだろう。
井内を越え、大台を越え、かっち山のほうまで行くだろうか。
おおい雲よ。
燃料が切れ、さいごに落ちてこわれても、かまうものか。
それを試したい欲望がもうぜんと湧き、
どうすることもできない。
完成した機体を持ち、家を出て、Hくんの家の前の広いコンクリートの庭で、
人差し指と中指でプロペラを回しす。轟音をたて、プロペラが回る。
鼻水と涙がいっしょにでてくる。
センパイのとおんなじだ! ワイヤーは付いてないけど。
機体を押さえる左手には、
まるで生き物のような強い力が伝わってくる。バルルルル…
もう、抑えておくことなどできない。
空のとおく、とおく、どこまでも飛んで行け!
パッと機体から手を離す。
勢いよくわたしの手を離れた機体は、10メートルも飛ばないうちに、
グチャッと地面にたたきつけられ、片方の翼が折れた。
しばし呆然。
破損して散らかったバルサ材を集め、家に帰った。
家のものになんと言われたか、弟にどう話したのか、
まったく記憶がない。

 

・春の雨雲に緑の映えるかな  野衾

 

さまざまのこと 15

 

小学三年の川上先生が担任のときだったと記憶していますが、ちょっとあやしい。
ひょっとしたら、小学四年の星野先生のとき、
いや、やっぱり、三年生のときだった気がするなぁ。
ともかく。
Yくんという同級生の親が八郎潟の大潟村に入植することになり、
それにともないYくんも転校することになった。
あのころ、大潟村の大規模農業が宣伝され喧伝され、
あとから聞けば、
わたしの父も、大潟村への入植に一時こころが動いたらしい。
父はけっきょく、申し込まなかった。
井川東小学校でのさいごの日、Yくんはひとことあいさつをして、学校を去った。
小学校はふたクラスしかなく、
Yくんとは、一年生から別れる日まで、同じクラスだったと思う。
とくに親しいわけではなかったから、
転校していったあと、Yくんに手紙を書くとか電話するとか、
そういうことはしなかったし、
以来、Yくんのことを思いだすこともなかった。
それから二十年以上たった東京でのこと。
わたしは高校の教員を辞し、出版社勤めを始めていた。
まだ国鉄だったか、すでにJRに切り替わっていたか、その時期に、
仕事で市ヶ谷にでかけ、用事を済ませたあと、
帰りの切符を求め、ふり返ったとき、おとこのひとの笑顔に出くわした。
声をかけられた。
「三浦さんではありませんか?」
「え?」
「ぼくをおぼえていませんか?」
「は~」
なんとも間の抜けた返事をするしかなかった。
ネクタイにスーツをバリッと着込んだおとこの顔をよく見れば、
たしかにどこかで見たことがあるような。
「そういわれれば、
どこかで会ったことがあるような気もしますが、
すみません、よく覚えていません」
Yくんだった。
そのときのおどろきとよろこびは、忘れることができない。
「よくぼくだと分かりましたね」
と言うと、
Yくん笑いながら「あれっ、と思い、ちょっと前から見ていたのですが、
三浦くん、子どものときのまんまだったから」
「…………」
人生には、こういう再会もあるんだなぁと思いました。

 

・新緑や薄き蔭より空と風  野衾

 

さまざまのこと 14

 

母の実家は羽白目(はじろめ)にありましたが、
そのちかくに上虻川(かみあぶかわ)というところがあって、
そこに父の姉が嫁いだ家がありました。
父の兄弟姉妹は八人で、父は長男でしたが、八人のいちばん上が貞子。
母の実家から上虻川の貞子おばさんの家までは、
子どもの足で10~12分ほどでしたでしょうか。
そこにも、
すくなくとも一度は泊ったことがあります。
大きな家で、トイレが家の外にありました。
わたしが子どものころは、父の家も、トイレは外でしたから、
そのこと自体は、
とくに違和感はありませんでした。
が、
慣れていないせいとは思いますけれど、
はじめて泊まるところのトイレが家の外、というのは、うす暗いし、こわかった。
あたりに目を凝らすようにして用を足した。
昼間は何ということはありません。
問題は、夜。
灯りがあるとはいえ、
夕刻、あるいは夜中、トイレに行くのは、よほどの勇気がいりました。
ほとけさまのある部屋にふとんを敷いてもらい、
そこに寝たのだったと記憶しています。
天井の高いその部屋のふんいきと外のトイレは、
ほんのときたまですが、いまも夢に見ることがあります。
おばさんの家に泊まることは一度、
多くて二度、
三度はなかったと思いますが、
母の実家と貞子おばさんの家までは歩いて10分ほどですから、
お日さまのでている時間帯なら、
母の実家に行けば、かならず訪ねていきました。
歳をとってからのおばさんは、わたしの祖母によく似ていました。

 

・まどろむ古里この世の雲雀  野衾

 

さまざまのこと 13

 

子どものころ、親戚に遊びにいき泊まったことも、割と記憶に残っています。
まずは母の実家。
秋田県羽白目(はじろめ)にあり、
父が自家用車を持つようになってからは、車で行きましたが、
それ以前は、大久保駅まで汽車で行き、
そこから四人でバスに乗り、もよりの停留所で降りました。
停留所から母の実家までは徒歩。
歩いて五分とかかりません。
わたしと弟はまだ小さかったので、五分ぐらい、かかったかもしれません。
母の父も母もいて、母の姉妹が嫁いださきの家族も遊びに来ていたり、
それはにぎやかなものでした。
子どもは子ども同士で遊び、夕食ともなれば、
おとなの席に混じって、
おなかをふくらませたものでした。
おとなたちの時間はさらにつづくようでしたが、
子どもは、おとなのように起きているわけにはいかず、
早めにふとんにもぐります。
わたしの実家である父の家になくて、母の実家にあって目を引かれたのが、
天井と鴨井のあいだにある欄間の彫刻でした。
ふとんのなかでしばらくは、横にいる弟と話をするのですが、
そんなに長くはつづきません。
と、
目に入るのが欄間の彫刻。欄間という名称も、知る由がありません。
唐草模様だったり、龍だったり、
そんなものが彫られていたんじゃなかったでしょうか。
目で追って、
飽きてきたら、こんどは天井板の木目の縞。
たのしかった一日のこうふんは、なかなか眠りに就かせてくれません。
そんなことも、いまとなっては、いい思い出です。

 

・金兵衛の畑より俄かの雲雀  野衾