小学校のあった場所から左と右へ入る両方の小道についての思い出を記しているうちに、
それから二十年ほどたったある日のこと、
横浜の友人宅で聞いたアメリカのある詩人の詩を思い出しました。
彼女が語るひとことひとことが、
つらい時期にあったわたしのこころに深くしみ入り、
詩人の名をおぼえ、行きつけの書店におもむき、詩集を求めました。
黄色に染まった森のなかで、道が二手《ふたて》に分かれていた。
旅人ひとりの身でありながら、両方の道を進むわけには
いかないので、私は長く立ち止まって、
目の届く限り見つめていた――片方の道が向こうで
折れ曲がり、下生《したば》えの下に消えていくのを。
それから別の道を進んだ、前のと同じくらい平坦だし、
ことによれば、より選ばれる資格があると思って――
その道は草が深く、もっと踏《ふ》み均《なら》す必要があったから。
だがそれを言うなら、実のところ、どちらの道も
ほぼ同じ程度に踏み均されていたのだが。
ロバート・フロストさんの詩「選ばなかった道」の第一連と第二連。
詩は第四連まであります。
引用は、
わたしがかつて買った詩集からではなく、
川本皓嗣(かわもとこうじ)さん編の岩波文庫からのもの。
選ばなかった道があれば、選んだ道があるわけですが、
選んだ道を行くと、
その先にはまた二手に分かれた道があり、
そこでも、どちらかの道を選びすすむことになります。
さらにすすむと道はまた二手に分かれ……
そうして眩暈がするぐらい、
いまのここに至ることになります。
・とりとめのない心かや夏の蝶 野衾