さまざまのこと 15

 

小学三年の川上先生が担任のときだったと記憶していますが、ちょっとあやしい。
ひょっとしたら、小学四年の星野先生のとき、
いや、やっぱり、三年生のときだった気がするなぁ。
ともかく。
Yくんという同級生の親が八郎潟の大潟村に入植することになり、
それにともないYくんも転校することになった。
あのころ、大潟村の大規模農業が宣伝され喧伝され、
あとから聞けば、
わたしの父も、大潟村への入植に一時こころが動いたらしい。
父はけっきょく、申し込まなかった。
井川東小学校でのさいごの日、Yくんはひとことあいさつをして、学校を去った。
小学校はふたクラスしかなく、
Yくんとは、一年生から別れる日まで、同じクラスだったと思う。
とくに親しいわけではなかったから、
転校していったあと、Yくんに手紙を書くとか電話するとか、
そういうことはしなかったし、
以来、Yくんのことを思いだすこともなかった。
それから二十年以上たった東京でのこと。
わたしは高校の教員を辞し、出版社勤めを始めていた。
まだ国鉄だったか、すでにJRに切り替わっていたか、その時期に、
仕事で市ヶ谷にでかけ、用事を済ませたあと、
帰りの切符を求め、ふり返ったとき、おとこのひとの笑顔に出くわした。
声をかけられた。
「三浦さんではありませんか?」
「え?」
「ぼくをおぼえていませんか?」
「は~」
なんとも間の抜けた返事をするしかなかった。
ネクタイにスーツをバリッと着込んだおとこの顔をよく見れば、
たしかにどこかで見たことがあるような。
「そういわれれば、
どこかで会ったことがあるような気もしますが、
すみません、よく覚えていません」
Yくんだった。
そのときのおどろきとよろこびは、忘れることができない。
「よくぼくだと分かりましたね」
と言うと、
Yくん笑いながら「あれっ、と思い、ちょっと前から見ていたのですが、
三浦くん、子どものときのまんまだったから」
「…………」
人生には、こういう再会もあるんだなぁと思いました。

 

・新緑や薄き蔭より空と風  野衾