たたかう人の歌

 

いきなりですが、
中島みゆきさんの歌に『ファイト!』があります。
歌詞に、
「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」ということばがでてきます。
ある本を読んでいたら、
そのことばが、
ふと、
メロディーといっしょにあたまを過りました。
二宮金次郎さんゆかり(二宮本家)の二宮康裕(にのみや やすひろ)さん
の『二宮金次郎の人生と思想』。
それを読んでいたときのことであります。
この本、
おどろきの連続で、
「薪を背負って歩きながら本を読む」金次郎さんのイメージが、
つくられたものであり、
それがどのように生成されたのか、
時代の要請、歴史的背景とからめつつ
実証的に記述されています。
かつてかよった小学校の校庭にあの像があり、
風の日も雨の日も、雪の日も、台風の日も、カンカン照りの日も、
見てきて、
いまは本棚に小さなレプリカがあり、
まいにち見ているわたしとしては、
「ちょっとちょっと、わたしの金ちゃんが…」
みたいな気にもなりました。
でも、
それでも金次郎さんは偉いわけで、
ますます身近に感じられます。
金次郎さんは、
ことあるごとに歌を詠んでいました。
五七五七七ですから短歌ですが、
二宮康裕さんは道歌(生活実感をふまえ作歌された教訓を含んだ歌)
と呼んでいます。
紹介されている歌のなかに、
こんなのがあります。

 

うわむきは、柳と見せて、世中は、かにのあゆみの、人こころうき。

 

農業指導に明け暮れる金次郎さんの複雑なこころが
如実に表れていると思います。
この歌を見て、読んで、
稀代の教育者・斎藤喜博さんの歌と共通する
ものを感じました。

 

理不尽に執拗に人をおとしめて何をねらうのかこの一群は

 

こちらも、
あたらしい教育の事実を拓こうと日々奮闘する斎藤さんの、
憤懣やるかたのないこころかな、
と思わずにいられません。
たたかう人の歌と呼びたいゆえんです。

 

・あじさゐや寺の空気の深くなる  野衾

 

お笑いの人の本

 

とくにだれかの、どのコンビの熱烈なファン、ということはないのですけれど、
テレビにお笑いの人がでていると、なんとなく見てしまい、
ときどき声を出して笑ったりすることがあり、
そうすると、
そのひと、そのコンビが気になって、
本を出していないか調べたりし、
出していればさっそく買って読むことがあります。
このごろでいえば、
錦鯉の『くすぶり中年の逆襲』本体1300円(税別)。

 

長谷川 基本的に1日1食。100均で買う8枚切りの食パン。
もちろんトースターなんてないから、そのまま。
渡 辺 何もつけないの?
長谷川 いや、マヨネーズをつけるんだ。これも100均で買ってね。
それをパンの表面に塗るんだけど、まんべんなく塗ると味がしつこくなるから、
パンそのものの風味も味わいたいので、
「く」の字に塗るんだ。
渡 辺 「く」の字?
長谷川 「区」だよ。足立区の「区」。これだと右の一辺が何も塗らないから、
素材そのものを味わえるんだよ。
渡 辺 偉そうな講釈はいいけど、なんで足立区なんだよ!
たとえの意味が分かんないよ!
長谷川 それも、ボクは一筆書きで「区」を書けたからね。
渡 辺 まさにスプーンいらず。榊莫山先生なみの達筆だよ
……って、

今の若い人には莫山先生って言っても、
誰も知らないぞ。
長谷川 莫山先生の「莫」って、ずっと大和田獏さんの「獏」だと思ってたからね。
渡 辺 どうでもいいよ、そんなこと!
ていうか、莫山先生で、ここまで引っ張るなよ!
長谷川 その「区」に塗ったパンを8枚、一気に食べるんだ。
渡 辺 食べすぎでしょ。4枚でも十分だぞ。
(錦鯉(長谷川雅紀 渡辺隆)『くすぶり中年の逆襲』新潮社、2021年、pp.119-121)

 

ふたりの対話形式で編集されており、テレビでのふたりの姿を彷彿させます。
どうでもいいような小さいことへのこだわり、
それと、論点が少しずつズレていく、
その感じ。まさに錦鯉
って感じ。
たとえば引用した箇所だと「足立区の「区」」でつい笑ってしまい、
それもクスっ、でなく、
アハハハ…と声を出してしまいまして、
いつものことながら、
家人に軽く注意を受けました。
と、
いま気づいた。
なにかっていうと、このブログに引用するときに、
どの本についても引用が間違ってないか、
五、六回は本と画面を見比べ照らし合わせ(それでも間違えることがあります)
て読み返すことになるわけですけど、
上の箇所を読み返しながら、
渡辺さんの長谷川さんへの気遣いというのか、
思いやりというのか、
そういうのが、
ズラしのテクニックとあいまって、
さり気なくでている気がし、
そういう感じがテレビで見ていてもしたのかな
って、いま思いました。

 

・丸まると肥えた獣の簾越し  野衾

 

あたりまえを疑ってみる

 

私たちは寮制度など全く知ることのない状況から出発したのである。
生徒たちは都市の市民の家に下宿し、
家長の権威であれ学校の権威であれ、
いかなる権威からも自由であった。
かれらの生活様式を、
独身の大人のそれと区別するものはほとんどなにもなかった。
その後、
教師たちと生徒の親たちは、
この自由が過度なものであると判断するようになる。
学院のなかで、権威的かつヒエラルヒー的な規律が確立されてくる。
この規律はさらに拡大されていき、
自分の裁量で毎日を過している生徒たちにも課されるべき
であると考えられるようになる。
こうして、
初期にはなおかなり緩やかなものであったが、
学院とは別に学生寮が生れる。
それ以後になると、
学校教育には大人の生活に入るための準備以上のことが要求されるようになる。
すなわち
(パブリック・スクールにおける「紳士」のように)
一種の人間個人の教育が要求される。
かつての時代には、
子供はまだひどく若いだけの大人であるとして子供を排除しないでいた社会
に対して、
学校に対するよりも多くのことが要求されたのであったのだが。
ナポレオン的学校体制のもとでのリセにおいても、
フランスの田舎の中等神学校でも、
イギリスのパブリック・スクールでも同じように感知しうるこの人格形成への配慮は、
十六世紀・十七世紀の寮監では知られていなかったものである。
人文主義的で、
かつキリスト教的な教養を教えていた人びとは、
ある類型の社会的理想といったものを生徒たちに押しつけようとはしていなかった。
(フィリップ・アリエス[著]杉山光信・杉山恵美子[訳]
『〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』1980年、
みすず書房、pp.268-9)

 

おとなになる前の、いわゆる「子ども時代」という考え方は、
いまはごくふつうの、いわば、あたりまえの考え方であるわけですが、
あたりまえだと思っていることは、
ほんとうにあたりまえなのか、そうなのか、
と疑いをさしはさみ、
調べてみたら、
あ~らら、
なんだ、その考え方って、
あたりまえでも、ふつうでも、なんでもなくて、
時代の変化、時代の要請によって作り出されてきた観念だったのか、
そうか、そうだったのか!
と、
驚きを以て、
じぶんの立っている地面の安定がぐらつき、
疑わしくなってくるというのも、
ていうか、
それこそが、
学問のおもしろさであると思います。
アリエスのこの本など、
その最たるものと言っていいかもしれません。
この本では、
アンシャンレジーム期の子どもを取り上げていますが、
ペスタロッチは、その期につながる人間として、
教育の近代をひらいて行くことになります。
引用した文との関連でいうと、
アンシャンレジーム期以後の人でありますけれど、
子どもたちにキリスト教的な信条科目を教えてはどうかと勧められたとき、
ペスタロッチは、それを断っています。
その意味で、
アリエス流の子ども観、歴史観を超え、
古い時代の本質、
よきところをよきところとして次代に引き継ごうとする精神がある、
とわたしは感じます。
ところで、
引用しようとして気づいたのですが、
この本、
「アンシャン・レジーム」のカタカナ表記が、
「アンシァン・レジーム」になっていて、
ちょっとおもしろい。

 

・水滔々と枝先のかたつむり  野衾

 

雨の匂い

 

一日の仕事を終え外へ出ると、ふっと、雨の匂い。包まれるようです。
しずかに大きく深呼吸。
もう一度。
伊勢山皇大神宮の裏参道は、雨にぬれ、黒く光っています。
社内で、ちょっと楽しいことがありました。
大いにウケ、しばし仕事を離れ、
いる人みなで笑いました。
笑いの火照りがまだ体にのこっていたらしく、
それでいっそう、
火に雨が注がれ、火が消え、煙が立つように
匂いが立ち、
鼻腔が刺激されたのかもしれません。
お香の香り、匂い袋の香りも好きで、自宅でも会社でも愛用していますが、
自然の匂い立つ香りにはかないません。
形のないものが、だんだんと形を変え、はっきりしてくる
ことが「立つ」の語源
のようですから、
雨の匂いをとおして、いまのこの季節が、
わたしにも立って、
立ち現われれてくるようでした。

 

・青簾じつと視てゐる祖父母かな  野衾

 

積もるモノといえば

 

『古今和歌集』でなく『新古今和歌集』にも貫之さんの歌は入っていて、
たとえば、

 

雪のみや降りぬとは思ふ山里にわれもおほくの年ぞ積れる

 

峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、

 

雪だけが白く降り積って、古くなったと思おうか、そうは思わない。
わたしも、白髪がふえて、多くの年が積っていることだ。

 

積もるモノといえば、まず雪を想像します。
新沼謙治さんの歌に『津軽恋女』というのがありまして、
歌詞にいろいろ雪の名まえがでてきます。
名称がいくつかあるということは、
微妙な違いを味わい分けつつ、
対象に向かう意識がそれだけ強いということかもしれません。
作詞は久仁京介(くに きょうすけ)さん。
新潟県出身とのことですから、
積もる雪は実感としてあるのでしょう。
また新沼さんは岩手県出身なので、
彼は彼で、実感としての雪をもっているはずです。
『津軽恋女』に、
「春待つ氷雪」という文句がでてきますが、
積もれば積もるほど待ち遠しいのは春、ということになるでしょうか。
積もるのは雪だけでなく、
そこに年や時が折り重なっているとなれば、
なおいっそうです。
そういう雪と時間の重なりを踏まえると、
たとえば『万葉集』にある志貴皇子(しきのみこ)さんの歌に圧倒されます。

 

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

 

よろこびが爆発するようです。

 

・真つ青や盛夏灯台かもめ越ゆ  野衾

 

「なんとなく」のこと

 

ひとのクセは割とすぐ気づくのに、じぶんのこととなると、
なかなかそういうわけにいきません。
このごろ気づいたのですが、
ここに書いているわたしの文章でいえば、
「なんとなく」
がけっこう多い。
頻出するといっていいかもしれない。
それで、
いい機会なので、「なんとなく」について考えてみた。
「なんとなく」で思い出すのは、
まず「なんとなくなんとなく」
の歌。
ザ・スパイダースが歌っていました。
作詞作曲は、
かまやつひろしさん。
「君と逢った~ その日か~ら~ なんとな~く~ しあわせ~」
という、
ほんわか、か~るい出だしのあのフレーズが
耳に残っています。
1966年発売なんですね。
そうですか。
わたしは九歳。まだ小学生。
時が経ちこの頃は、
日本の古典をよく読むようになりまして、
学校の科目でいえば、
けして好きなほうでなかったのに、
いま、
校注者、解説者の説明と併せながら、
ゆっくりじぶんのスピードで
読んでみると、
味わい深く、おもしろく、
なんとなくつぎつぎに読むことになっています。
そうしたら、
古典にもこの「なんとなく」
がけっこう出てくることに気づきました。
「なにとなし」「なにとはなし」「なにとにはなし」の形で。
漢字で書くとしたら
「何と無し」「何とは無し」「何とには無し」
意味はだいたい同じ。
わたしが好きなのは、『枕草子』の一文。

 

木々の木の葉、まだいと繁うはあらで、わかやかに青みわたりたるに、
霞も霧もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、
すこし曇りたる夕つ方・夜など、
しのびたる郭公ほととぎすの、とほく「そら音か」
とおぼゆばかり、
たどたどしきをききつけたらむは、
なに心地かせむ。

 

こういう気分、気持ちになること、
清少納言さんの時代から千年以上経った令和の今もあります。
さてこの「なんとなく」、
辞書的には、
はっきりした理由や目的がない場合に「なんとなく」
つかうわけですけれど、
いまこの時点では分からなくても、
気づいたことの理由や目的またエトセトラが潜んでいたり、
だいじな意味が隠れているようにも感じて、
「なんとなく」と書く、
書いてしまう、
のかなぁ?
そんなふうにも思います。

 

・雲流るあとの光をかたつむり  野衾

 

中村真一郎さんの史伝

 

『頼山陽とその時代』のほかに、中村さんには
『蠣崎波響の生涯』『木村蒹霞堂のサロン』の、これまた大部の史伝があります。
三冊とも買ってはあったのですが、
なんとなく、
いまひとつ気がのらないというのか、
史伝に向かうじぶんの気持ちの強度がどうも計れず、
などの言い訳をじぶんにしているうちに、
時間ばかり経ってしまいました。
本を買うことと、
じっさいに読み始めることとのあいだに、
けっこう、
いろんなことがあります。
あるようです。
『新井奥邃著作集』でも世話になった工藤正三先生は、
奥邃さんにつながる人のことをよくご存じで、
会えば必ずといっていいほど、
それらの人々についての知見を披露してくださり、
くり返しまたくり返す。
話は、
おもしろくはありましたけれど、
いま思えば、
口にはしなくても、
批判的なこころがわたしのなかに湧くことが間々あったことも事実です。
人と人とのつながりの妙といったらいいのか、
機微といったらいいのか、
孤独といったらいいのか、
味といっていいかもしれませんけれど、
そういうことが当時のわたしには分かりませんでした。
いま分かるかといえば自信はありません。
ただ、
中村さんの史伝を手にとって、
実際に読み始めた
というのは、
工藤正三先生の思い出がじわり利いている気がします。

 

今、ようやく波響の死にまで辿りつき、そして、
私なりに彼の精神内部での政治と芸術との絡まり合いのドラマが、
幻影のように見えてきて、擱筆しおえたところで、
私は長い夢から覚めた思いがしている。
その夢の中で、
私は何と数多くの思いがけない内外の大事件の裏面を覗き、
何人の思いがけない人物の意外な面に触れることができただろう。
そして、
北辺の一貴人の一生が、
いかに当人の意志よりも遥かに大きな世界史の動きに飜弄されたかを目のあたり
にして、
人生というものの不可思議さに畏怖の念を抱く
ことになったろう。
(中村真一郎『蠣崎波響の生涯』新潮社、1989年、帯にある「著者のことば」)

 

引用したことばですが、
もとは
『新潮』(平成元年四月号)「波響伝完結に際して」
に掲載された文言とのこと。

 

・五月闇赤赤駅の掲示板  野衾