「なんとなく」のこと

 

ひとのクセは割とすぐ気づくのに、じぶんのこととなると、
なかなかそういうわけにいきません。
このごろ気づいたのですが、
ここに書いているわたしの文章でいえば、
「なんとなく」
がけっこう多い。
頻出するといっていいかもしれない。
それで、
いい機会なので、「なんとなく」について考えてみた。
「なんとなく」で思い出すのは、
まず「なんとなくなんとなく」
の歌。
ザ・スパイダースが歌っていました。
作詞作曲は、
かまやつひろしさん。
「君と逢った~ その日か~ら~ なんとな~く~ しあわせ~」
という、
ほんわか、か~るい出だしのあのフレーズが
耳に残っています。
1966年発売なんですね。
そうですか。
わたしは九歳。まだ小学生。
時が経ちこの頃は、
日本の古典をよく読むようになりまして、
学校の科目でいえば、
けして好きなほうでなかったのに、
いま、
校注者、解説者の説明と併せながら、
ゆっくりじぶんのスピードで
読んでみると、
味わい深く、おもしろく、
なんとなくつぎつぎに読むことになっています。
そうしたら、
古典にもこの「なんとなく」
がけっこう出てくることに気づきました。
「なにとなし」「なにとはなし」「なにとにはなし」の形で。
漢字で書くとしたら
「何と無し」「何とは無し」「何とには無し」
意味はだいたい同じ。
わたしが好きなのは、『枕草子』の一文。

 

木々の木の葉、まだいと繁うはあらで、わかやかに青みわたりたるに、
霞も霧もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、
すこし曇りたる夕つ方・夜など、
しのびたる郭公ほととぎすの、とほく「そら音か」
とおぼゆばかり、
たどたどしきをききつけたらむは、
なに心地かせむ。

 

こういう気分、気持ちになること、
清少納言さんの時代から千年以上経った令和の今もあります。
さてこの「なんとなく」、
辞書的には、
はっきりした理由や目的がない場合に「なんとなく」
つかうわけですけれど、
いまこの時点では分からなくても、
気づいたことの理由や目的またエトセトラが潜んでいたり、
だいじな意味が隠れているようにも感じて、
「なんとなく」と書く、
書いてしまう、
のかなぁ?
そんなふうにも思います。

 

・雲流るあとの光をかたつむり  野衾