中村真一郎さんの史伝

 

『頼山陽とその時代』のほかに、中村さんには
『蠣崎波響の生涯』『木村蒹霞堂のサロン』の、これまた大部の史伝があります。
三冊とも買ってはあったのですが、
なんとなく、
いまひとつ気がのらないというのか、
史伝に向かうじぶんの気持ちの強度がどうも計れず、
などの言い訳をじぶんにしているうちに、
時間ばかり経ってしまいました。
本を買うことと、
じっさいに読み始めることとのあいだに、
けっこう、
いろんなことがあります。
あるようです。
『新井奥邃著作集』でも世話になった工藤正三先生は、
奥邃さんにつながる人のことをよくご存じで、
会えば必ずといっていいほど、
それらの人々についての知見を披露してくださり、
くり返しまたくり返す。
話は、
おもしろくはありましたけれど、
いま思えば、
口にはしなくても、
批判的なこころがわたしのなかに湧くことが間々あったことも事実です。
人と人とのつながりの妙といったらいいのか、
機微といったらいいのか、
孤独といったらいいのか、
味といっていいかもしれませんけれど、
そういうことが当時のわたしには分かりませんでした。
いま分かるかといえば自信はありません。
ただ、
中村さんの史伝を手にとって、
実際に読み始めた
というのは、
工藤正三先生の思い出がじわり利いている気がします。

 

今、ようやく波響の死にまで辿りつき、そして、
私なりに彼の精神内部での政治と芸術との絡まり合いのドラマが、
幻影のように見えてきて、擱筆しおえたところで、
私は長い夢から覚めた思いがしている。
その夢の中で、
私は何と数多くの思いがけない内外の大事件の裏面を覗き、
何人の思いがけない人物の意外な面に触れることができただろう。
そして、
北辺の一貴人の一生が、
いかに当人の意志よりも遥かに大きな世界史の動きに飜弄されたかを目のあたり
にして、
人生というものの不可思議さに畏怖の念を抱く
ことになったろう。
(中村真一郎『蠣崎波響の生涯』新潮社、1989年、帯にある「著者のことば」)

 

引用したことばですが、
もとは
『新潮』(平成元年四月号)「波響伝完結に際して」
に掲載された文言とのこと。

 

・五月闇赤赤駅の掲示板  野衾