金次郎さんの俳句

 

文化三年(一八〇六)には生活の安定ぶりを示す記載が増えてくる。
顕著なのは俳句に関する記載である。
彼の俳号は「山雪」といい、
四月以降「句料」九回に総額四六一文を支払っている。
それに伴ってか、
筆三本(計七九文)、墨(四八文)、硯(一〇八文)、紙(二九八文)
を購入している。
二〇歳前後の金次郎の俳句には、長閑な情景を表現したものが多い。

 

おちつのや 枯いたどりの 五六尺
雉子啼や七里並木の 右左
蝶々や 日和動きて 草の上
山吹や 古城を守る 一つ家

 

日々の暮らしの中で、目に触れた季節の移ろいを詠んだものであろう。
はじめの二句は酒匂川の堤防の情景と思われる。
冬、草木が枯れ果てた中、
いたどりの間に鹿の角を発見した新鮮な驚きが目に見える。
同様に堤防の松並木から雉の声が聞こえてくる。
目をこらすと、
松陰に雉が二三羽見える。
そんな堤防上の光景を素直に詠んだ句である。
三句目は春先の田畑での耕作中に、
目に入ってきた蝶々を詠んだものであろう。
四句目は足柄峠に出かけたとき、
古城付近の一軒家に悠久の流れを観じたものであろう。
金次郎がいつから俳句の指導を受けていたのかははっきりしないが、
二〇歳前後に雪中庵完来宗匠に師事し、
山雪という俳号をもらっていたようである。
(二宮康裕『日記・書簡・仕法書・著作から見た 二宮金次郎の人生と思想』
麗澤大学出版会、2008年、p.61)

 

金次郎さんが俳句をやっていたことを、はじめて知りました。
田舎生まれのわたしは、
自然に触れてのよろこびの句にふかく共感します。
農聖、秋田の二宮尊徳と称される石川理紀之助さんは短歌
でしたが、
身を粉にして農業指導にあたったふたりの先人また偉人が、
共に俳句や短歌をつくっていた
ことに興味をおぼえます。
生成AIがもてはやされている時代だからこそ、
どういう人生を送ったどういう人が、日々の暮らしをいかに味わい、
ことばにしていったか、
それを知ることは、
今に生きるわたしたちの大きな喜びにつながる
ものと思えます。

 

・階段をひと脚ごとの溽暑かな  野衾