雪と『新先蹤録』

 

ただいま母校創立百五十周年を記念する本の編集に携わっており、
タイトルは
『新先蹤録 秋田高校を飛び立った俊英たち』。
「先蹤(せんしょう)」は、
先人の事跡、先例。
「蹤(しょう)」は足あとの意ですから、
先人たちの遺した足あとの記録、
といった意味になります。
「新」がついているのは、
百三十周年のときに『先蹤録』がつくられていることを踏まえて、
であります。
「先蹤」というのは聞きなれない言葉ですが、
母校の校歌にでてくる用語で、
作詞したのは土井晩翠さんですから、
さもありなん。
この本の装丁を装丁家に依頼するとき、
わたしは、
「飛翔する雉(きじ)と雪」をモチーフに考えてほしい旨を伝えました。
秋田では雉をよく見ます。
取り上げられた38名のライフヒストリーは、
どのかたのものも、
輝かしいものでありますけれど、
それぞれの人の、
16、17、18歳の高校生の「現在」は、
先の見えない一瞬一瞬、だったのではないかと想像します。
それがわたしのなかで「雪」と重なります。
子どもの頃に、
おにぎりを持ち弟といっしょに歩き、
新雪の山の頂に立ったとき、
高低差と遠近感が消失し、
いま自分がどこに立っているのか、
分からなくなってしまうような錯覚に襲われました。
恐る恐るゆっくりスキーで山を滑り下り、
山の下まで達し振り返ったときに、はじめて、どれぐらいの高さから滑って来たのか、
周囲の景色がようやく懐かしいものに感じられた。
ロバート・フロストの詩に
「選ばれなかった道」
がありますが、
「雪」は、
新雪の山の頂に立つ「永遠の現在」を象徴している
と思われます。
38のライフヒストリーから、
一歩を踏み出すまえの、
緊張をともなった切実の「現在」を読んでもらえたらと、
願っています。
こんかいの『新先蹤録』は、
春風社で市販することの了承を得ており、
amazonで予約が始まっています。
コチラです。

 

・見慣れたる景を洗ふや梅の雨  野衾