ペスタロッチーさんの精神

 

……夜は朝に席を譲つた。朝の後には輝かしい晴れた昼がやつて来る。
昼を導き、昼を準備し、昼を連れ出したものは誰であるか問へ、
さすれば現在幾百回となく繰り返してゐる昼はそれに答へるであらう。
――児童の友にも、教育する母にも、
人類の内的発展に喜びを有ち、
愛に溢れた教育と精神を陶冶する教育との価値を知る総ての人にも、
従ってあらゆる教師にも、
喜びと栄誉とを与へる昼は答へるだらう。
星、
一千八百年以来独逸教育界の天空に輝ける最も輝かしい最も大きな星こそは
――ペスタロッチーであると。
――今日吾々は彼れの百年誕生日を祝ふ。
それは青年と教師との祝祭日である。
――感謝と喜びとの祭日――
独逸人と人類との祭日である。
世界中でペスタロッチーの名は是認と称讃とを以て称へられてゐる。
彼れの骨は大地の片隅に墓碑も名前もなしに眠つてゐる。
併し彼れの精神と心情と言葉とは吾々の間に生きて働き、
そして
精神陶冶を受ける児童達は無言の裡にも
この不死の人の豊かな恵みある活動の恩恵を享けてゐる。
されば吾々は
彼れの精神即ち発展しつゝある人間陶冶の精神を継承し、増大し、発揚して、
それを後続者達に委ねようではないか。」
「権力者ナポレオンの創造物は跡かたもなく消失した。
併しペスタロッチーの業績は永久に存続するであらう。」
(ハインリヒ・モルフ[著]長田新[訳]『ペスタロッチー伝 第四巻』岩波書店、1940年、
pp.351-2)

 

引用文は、ドイツの教育者ディーステルウェークさんのことば。
「ドイツ国民に告ぐ」のフィヒテさんの影響を受け、
プロイセンのペスタロッチと称された人ですけれど、
さいごの一文など、
教育が、国づくりにとっていかに重要であるかの宣言文であると思います。
WBCで日本チームを優勝に導いた栗山英樹さんは、
森信三さんを「不世出の哲学者」とよんでいますが、
森さんが創立した「実践人の家」は、
広島大学教育学部が創設した「ペスタロッチー教育賞」を2012年に受賞しています。
森信三さんは、
ペスタロッチーの精神を実践した人でした。

 

・鶏小屋の網より入るる南風(みなみ)かな  野衾

 

奥邃さんの「まこと」

 

新井奥邃(あらい おうすい)さんが「影響」を「かげひびき」と読んだことは、
このブログにも書きましたが、
この「影(かげ)」、
「影」という漢字にしても、「かげ」という平仮名にしても、
暗いところを表す「影(かげ)」というより、
もともとは光を表す、
ということに重点を置いて考えた方がいいように思います。
月影の「かげ」、面影の「かげ」、
かぎろひの「kag-」、かがやくの「kag-」、
鏡(かがみ)の「kag-」。
また、
影という字には「日」があり「京」がある。
「日」は太陽、
「京」は、
白川静さんによれば、
「アーチ状の凱旋門で、上に望楼をおく」。
すると、
「景」は、望楼から太陽を拝む、
のイメージ。
「彡(さん)」は降りそそぐ感じかな。
『新井奥邃著作集』第六巻の口絵に、
奥邃さんに委嘱され柳敬助さんが描いた「天界図」を収録しました。
これは、
「輝ける天界の一方面を描写」しようとした
ものであったそうで、
これまた「kag-」を含んでいます。
奥邃さん、
きっとかがやく光が好きだったんでしょう。
ちょっと話が飛びますが、
奥邃さんと同行した人に長沢鼎さんがいて、
長沢さんはその後、
「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」と称されるようになります。
ワインづくりのもとであるブドウの栽培と太陽は、
切っても切れない関係にある
ようです。
奥邃さんもカリフォリニアの空を仰いだか。
ここで思い出すのが、
かつてヒットしたアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』。
1972年リリース。
もう五十年も経ったんですね。
さらに。
わたしが大学に合格し、
仙台に暮らすようになってまず驚いたのは、
同じ東北なのに、
冬の空がこんなにも違っているか
ということ。
日本海側の冬の空が多くどんよりしているのに、
太平洋側の冬の空のなんと明るいこと明るいこと。気分がスカッと晴れる。
八木山から仰ぐ青空は、
いまも目に焼くついています。
奥邃さんは仙台藩のご出身。
とこう書いてきたことは、
エビデンスに基づかない
わたしの単なる連想ではありますが、
奥邃さんの文章を初めて読んだとき、
その後幾度となく読んできた読んでいるときの印象と、
ピタリ一致します。
うす暗く深々としたところにある真理でなく、
かがやく明るさに充たされた真理
とでもいったらいいでしょうか。
奥邃さんのことばに
「暗夜はこれ永久ならず。我は真の来るを待つ」
がありますが、
この「真(まこと)」は輝く光であり、
儒教の「まこと」ともひびいていると思います。

 

・だるまさん転んだハシビロコウの夏  野衾

 

歴史上の「現在」といまの「現在」

 

南伸坊さんの本に、『歴史上の本人』というのがありました。
尊徳さん、聖徳太子さん、信長さん、一葉さんなど、
教科書に出てくる人物の肖像画や銅像にある「本人」の顔にじぶんの顔を似せて作り変え、
各地を旅するという伸坊さんらしい面白エッセイ集。
ただおもしろいだけでなく、
考えさせられました。
というのは、
教科書に名前が出てくるような人というのは、
なんとなく雲の上の存在と申しましょうか、
どこか他人事でありました。
それが、
伸坊さんの本を読んでいると、
尊徳さんも聖徳太子さんも、おなじ人間だったのか
と、
身も蓋もない感想がもたげてきて、
でも、
身も蓋もないその印象が、
漢方薬のようにだんだん利いてきて、
いまいろいろな歴史上の人物の伝記を読むときの補助線になっている気がします。
歴史上の人物を過去の人としてでなく、
現在の人として読んでみる。
とどうなるかというと、
たとえば、
いまとりあえず飯を食うか、腹が減っていても出掛けるか、
仕事をじぶんでやるか、ひとにまかせるか、
鉛筆で書くか、万年筆で書くか、
怒りを爆発させるか、
ぐっと腹に力を入れて我慢するか、
そういう大小の問題がつぎつぎ起こってきて、
そのつど選択に迫られ、
抜き差しならない「現在」に立ち会うことになる、
なってしまいます。
おもしろいけど、
たいへん。
たいへんだけど、おもしろい。
「現在」ということでは、歴史上もいまも同じようです。

 

・子どもの日そろそろ動けハシビロコウ  野衾

 

空中散歩

 

わたしの住まいするここは、小高い丘の上にあり、
いろいろな生き物がいて、日々の暮らしを彩ってくれます。
このごろは、
アライグマがベランダを行き来するのを二度目撃し、
太い尻尾にある幅のひろい縞々が目に焼きつき、夢にまで出てきます。
一方で、
ゲクゲクと特徴のある声で鳴く台湾栗鼠が、
ちかごろ姿を現わさないので、
二日前「おーい。リスくん」
と呼んでみた。
すると、
きのうの朝、
このブログを書き、
その一部をツイッターに投稿し、ブログとのリンクを張り終え(教えてもらいました)、
いつものようにウォークマットⅡを敷いて、
ルーティーンになっているツボ踏みを行っていると、
うす暗い窓の外で何やら黒い塊が、
電線を伝わり移動していくではありませんか。
あっ!!! リスくん!!!
ツボ踏みを中断し、
早朝の静かな空気のなかを走り回るリスくんの姿に
しばし見とれていた。
リスくん、
電線を移動するかと思いきや、
こんどは、
道の下にあるアパートの屋根の上に飛び移り、
きょろきょろ、
きときと。
二十分ほど進んでいる壁の時計は、五時を指しています。
ということは、
四時四十分。
外はほんのり、
暗さがほどけ、青さを増していくようです。
これもまた神秘であります。

 

・新緑の揺れて狭間のかげ薄し  野衾

 

神秘を受け入れる

 

一般に、人間と人間との関係のなかには、わたしたちが通常みとめているよりも、
はるかに多くの神秘がひそんでいるのではないだろうか?
何年もまえから毎日いっしょにくらしている相手であっても、
ほんとうにその人を自分が知っているとは、
わたしたちのだれも主張するわけにはいかない。
わたしたちはどんなに親密な人たちにも、
自分の内的体験をつくりあげているものの断片しか伝えることができない
のである。
全体を示すというようなことはできないことだし、
できたとしても、
相手がそれをとらえることはできないだろう。
わたしたちは、
互いに相手の顔形をはっきり見わけることのできない薄暗がりのなかを、
いっしょに歩いているのだ。
ただ、
ときおり、
わたしたちが道づれとなにかを経験したり、
互いにことばをかわしたりすることによって、
一瞬のあいだ、
稲妻に照らし出されたように、
わたしたちのそばにその道づれのいることがわかる。
そうしてそのときわたしたちは、
相手の様子を見てとる。
が、
それからまた、おそらく長いあいだ、
暗がりのなかを、
ならびあって歩いて行く。
そして相手の顔形を思いうかべようとしても、
それができない。(生い立ちの記)
(アルベルト・シュヴァイツァー[著]浅井真男[編]『シュヴァイツァーのことば』白水社、
1965年、pp.307-8)

 

シュヴァイツァーさん、こんなことを考え、書いているんですね。
神秘を重んじる新井奥邃(あらい おうすい)さん
とおんなじだなと思いました。
どんな人に対しても、
それがじぶんの子であっても、
また親であっても、
愛し敬して、昵近しないということは、
言うは易く行うは難し、
のたぐいかもしれません。
なかなかできることではありませんけれど、
おぼえていて、
ときどき思いだしたいことばです。

 

・身を伸ばし石くれのうへ青大将  野衾

 

シュヴァイツァーさんのこと

 

少年時代を思い起こしてみるとき、わたしにとって感銘ぶかいことが一つある。
それは、実に多くの人たちが、
それとは知らずに、
わたしになんらかのものを与え、
なんらかの感化をおよぼしたという事実である。
一度もことばをかわしたことのないような人たちが、
いや、
ただ話に聞いただけの人たちまでが、私に確然たる影響をあたえた。
彼らはわたしの生命のなかにはいりこんで、
わたしの内なる力となった。
それ以前のわたしだったら、
これほどはっきり感じたり、これほど断固として行なったりしなかったような、
きわめて多くのことを、
わたしはいわばそれらの人たちの強制下にあるために、
はっきりと感じ、断固として行なうのである。
だからして、
わたしたちはみな精神的には、
自分の生涯の重大な時期において人からあたえられたものによって生きているのだ、
というふうにいつもわたしには思われる。
こうした重大な時期は予告なく、
突如としてやってくる。
それに、
見たところはぎょうぎょうしくなく、
目立たないものである。
それどころか、
ときによると、
思い出してみてはじめてその重要性がわかってくることがあるもので、
それはちょうど、
音楽や風景の美しさが往々思い出してみてはじめてはっきりしてくるのに似ている。
温厚、親切、ひとをゆるす力、誠実、忠実、苦悩への忍従など、
多くの徳がわたしたちのものになったのは、
大きな事件なり小さな事件なりにおいて、
それらの徳をわたしたちに体験させてくれた人たちのおかげなのだ。
生活化した思想が火花のように
わたしたちの内部にとびこんできて、
点火してくれたのである。(生い立ちの記)
(アルベルト・シュヴァイツァー[著]浅井真男[編]『シュヴァイツァーのことば』白水社、
1965年、pp.306-7)

 

シュヴァイツァーさんは、1875年生まれ。ですから、元号でいえば、明治八年。
アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネで、
医療などの行為を通じて当地の住民のために生涯を捧げた人、
というふうに、
小学校かな、中学校かな、
授業で習ったように記憶しています。
『水と原生林のはざまで』
の一部が、教科書にあって、それを読んだのかもしれません。
ともかく、
ああ、
こういうえらい人が世の中にはいるんだな、
真似できない、
って思いました。
その後、
年をかさね、シュヴァイツァーさんが、
現地の人からはあまりよく思われていなかった、
みたいなことを紹介する本を読み、
少々、
わたしのシュヴァイツァーさん熱が冷めた感じもありましたが、
でも、そういうことが事実あったとしても、
ノーベル賞をもらったとか、
そういうことでなく、
シュヴァイツァーさんは、えらい、
と今も思います。
ちなみに、
引用した本は、
日本語に翻訳されたシュヴァイツァーさんの本の文章から、
浅井真男さんがえらび集めたもので、
引用文は、
国松孝二さんの訳した「生い立ちの記」
からのものです。

 

・ふるさとの風に早苗のなびくかな  野衾

 

中性脂肪を減らす

 

二カ月に一回の定期検診で、クレアチニン値が高いのは仕方ないとして、
いつも、おまけみたいに高めなのが中性脂肪。
あるとき、
先生にきいてみた。
「ポテトチップスを食べているせいですかね?」
「どれぐらいの頻度で食べていますか?」
「週一ぐらい」
「だとすると、そんなに影響はないと思いますけど」
「そうですか」
気にするほど高いわけでなし、
ま、いっか、
とも思っていたのですが、
ん!?
もしかして、
もしかしたら、
と、
あることに気がついた。
性格なのでしょう、
いいとなれば、
いいと判断すれば、
何ごとによらず、継続する、習慣化する癖がありまして、
毎朝、
小さい容器に入ったヨーグルトを食べています。
いや、食べていました。
佐藤入り。
まちがえた。
砂糖入り。
ひょっとして、ヨーグルトのせい?
そうなのか?
ということで、
しばらく前から、
朝のヨーグルトをぱったり止めました。
さて、
きのうのことです。
いよいよ結果発表の日!
ジャカジャカジャカジャカ、
と、
検査報告書の数値を見て驚いた。
数値がぐぐっと下がっているではないか。
やっぱり。
へ~、ほぼ標準値。
はは~。
先生にそのことを告げると、先生、パソコンに向かって何やら入力。
お代を払いクリニックを出て、
歩きながら考えた。
ヨーグルトは体にいいとされているけど、
過ぎたるは猶及ばざるが如し、
ってこともあるし。
こつこつ続けることがすべて善とはかぎらない。
そういうことか。
んだな。
ということで、
こんかいは反省の巻、
でした。

 

・緑勝ちスプラトゥーンの若葉かな  野衾