「文学」のことば

 

「散歩」と題するように、あらかじめ決まった目的地を目指すのではなく、
気の向くままに、
道すがら四季折々の風景や花を眺めて、
寄り道を楽しむ散歩のような筆致で、『万葉散歩』は書かれている。
それでいて、
各回には歌をまとめるゆるやかなテーマがあり、
それぞれの回ごとに、
自然の景物や古人の人生や真情への感動があり、
人を愛することや生きることの憂いと喜びに気づかさせてくれる。
本書は、
古くから読み継がれてきた『万葉集』の魅力を
ユーモアたっぷりに語った
田辺聖子の万葉エッセイなのである。
それにしても、
コロナ禍の「令和」の世に本書が出版されることの意味は大きい。
戦時下の少女時代を回想して、
田辺聖子は
「あの酷烈な戦争を生きのびるのに、私は、詩や小説や絵や、
美しいコトバなどが手もとになければ、ひからびてゆく気がしていた」
(『欲しがりません勝つまでは』「あとがき」)
と書いている。
過酷な現実に直面せざるを得ない時こそ、
心を感動で満たす文学の「ことば」が必要であるに違いない。
(中周子「解説 田辺聖子の万葉エッセイ」、
『田辺聖子の万葉散歩』中央公論新社、2020年、pp.251-2)

 

中周子(なか しゅうこ)さんは、
大阪樟蔭女子大学の教授で、田辺聖子文学館の館長を務めておられる方。
中さんの文中に引用されている田辺さんの文言を読み、
また、それにつづく中さんの文に触れ、
なるほど、と思いました。
いつの時代、どこの社会でも、過酷な現実はありますから、
じぶんで考えるだけでなく、
信頼のおける先輩や友人と語り合い、
話を聞いてもらうことが必要かもしれません
が、
古今東西の人の発したことばに触れることで、
どくとくに慰められることがあります。
古典なら古典。
古典を紐解き、
いまはこの世にいないこの人も、
この世にいる間は、
こうやってことばを発し、漏らし、叫び、ことばを紡いで生きたのか、
そう感じられ、思えることで、
わたしももうすこし頑張ってみようかな、
と、
あまり力瘤を入れないで、
落ち着くようです。

 

・蛙鳴くカスタネツトを打つ如く  野衾