装丁のこと

 

わたしの母校の創立百五十周年を記念する本の打ち合わせのため、秋田入り。
本文の方は、
すでに四校の途中ですので、
ほぼ終りに近く。
いよいよ装丁(そうてい)を具体的に推し進める段になり、
あらためて「装丁」について考えてみました。
『広辞苑』によりますと、
【装丁・装釘・装幀】の漢字表記のあと、

 

(本来は、装(よそお)い訂(さだ)める意の「装訂」が正しい用字。
「幀」は字音タウで掛物の意)
書物を綴じて表紙などをつけること。
また、
製本の仕上装飾すなわち表紙・見返し・扉・カバーなどの体裁から
製本材料の選択までを含めて、
書物の形式面の調和美をつくり上げる技術。
また、その意匠。装本。

 

と説明されています。
意を尽くした説明であるなあと感じます。
文中の「形式美」に目が留まります。
本は中身がだいじで、
外見はそれほど重要ではないとする考え方が一方にあるかもしれません。
しかし、
人間と同様、本も、外見は大事であると思います。
『論語』に「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」ということばがありますが、
これは、
外の美しさと内の質朴さがほどよく調和し、
バランスがとれていることを表しており、
装丁と人間を考えるときに、
よく思いだす言葉です。
『広辞苑』で正しい用字とされている「装訂」の「訂」の文字ですが、
『新漢語林』によりますと、

 

音符の丁は、釘(くぎ)を打ち固定させるの意味。
意見の違いや誤りを正して、
おちつかせるの意味を表す。

 

と説明されています。
そうすると、
「そうてい」することによって、本はおちつく、
ことになります。
さらに、いまのわたしの感覚では、
「そうてい」することにより、
本は、死なせることができるようになる、
そんな風にも思います。
死ぬことができる、ということは、
生きることでもあります。
装丁された紙の本は、経年変化によって、やがて年をとり、朽ちていきます。
その点、
媒体を替えて生きつづける中身だけの本を想像すると、
どこか幽霊に似ている気がしないでもない。
この世に生まれ、存在し、時に育まれ、やがてこの世を去ってゆく、
そういう「物として本」をイメージする。
「物としての本」を装う。
文質彬彬。
そのために本を「そうてい」したいと思います。

 

・新緑は薄紫の交ざるかな  野衾