いわゆる「金次郎像」のこと

 

二宮金次郎さんといえば、
なんといっても薪を背負って歩きながら本を読む少年金次郎さん。
ですが、
このごろは、
歩きながら本を読むのは危ないから、
すわって本を読んでいる金次郎さんの像に替えた学校があるらしく。
時代は変わりました。

 

文化八年~文化一一年の薪販売の記録と、文化四年~文政五年の書籍購入の記録
を示した。
薪の販売は文化八年の早川村のもみそ代の支払いと
風祭村の薪山代支払いとほぼ同時期に始まり、
文化一一年まで行われた。
このことから、
金次郎が薪山の伐採権を購入し、
そこで伐採した薪を城下に運び販売したことがわかる。
しかし薪の販売は「金次郎像」が示す少年金次郎ではなくて、
二五歳の青年金次郎だったのである。
(二宮康裕『日記・書簡・仕法書・著作から見た 二宮金次郎の人生と思想』
麗澤大学出版会、2008年、p.49)

 

そうだったのか、と思いますね。
ところで、
引用文中の「早川村のもみそ代」の「もみそ」って何?
これの意味するものが分かりません。
数ページまえにも「早川村山伐もみそ」がでているのですが。
そのことはちょっと置いといて、

 

結論を急げば、
「薪を背負いながら『大学』の書を読む姿」は、『報徳記』にあるような、
父死亡の直後(金次郎一四歳)の話ではなく、
先述したように、
金次郎の文献に記される二五歳前後の薪販売の記録と書籍購入という
二つの別々の事象が統合され、
少年の姿の「金次郎像」に投影された
と考えるのが自然であろう。
しかも、
伐採権を購入した薪山から、薪を城下に運ぶ姿が、近代に至って意味化され、
いわゆる「金次郎像」にみられる「勤勉で親孝行の少年」の「姿」
に形象化されたのであろう。
したがって、
文化一〇年(一八一三)、『大学』購入の記録にみられるように、
彼の経典からの学びも伝説よりも約一〇年ずれると考えるのが自然と思う。
彼は二〇代に入って急速に学問に接近し、
経典などを購入するようになったものと思える。
(同書、pp.51-2)

 

なるほどなあ。そうかもしれません。
だとしても、
わたしの金次郎さんの像は歪みません。
(ちょっと歪むか)
勉学に励んだ二〇代の金次郎さんのこころざし、根は、
本を読むまえ、
字を読むまえからあったでしょうから。


きょうのこのブログを書いてから、「もみそ」が気になって調べていたら、
分かりました。樅(もみ)のことでした。
『広辞苑』の「樅」の項目で、説明文のあとに
「もみそ。とうもみ。もむのき」
とあります。
スッキリ!

 

・夏草や風を迎えて一踊り  野衾