「ものを書く」ことは

 

ときどき思うことですが、文を書くのが苦手、というより、嫌いだったなぁ。
小学校の作文。
なにを書いたらいいか分かりませんでしたものね。
とても、思うようには書けませんでした。
「思うように」
がちょっと分からない感じで。
いま話題のチャットGPTを、
当時もし知っていたら、さっそく使っていた気がします。
そんなふうですから、
文を書くことはけっこうな壁だった。
なのにいま、
こうして毎日書いていますから、
人生は不思議。
嫌いじゃとてもできないでしょうね。
でも、
好きか?
って訊かれたら、
サム・クックさんが好きとか、『男はつらいよ』が好きとか、キンキの塩焼きが好きとは、
ちょっと違うような。
つらつら考えてみるに、
読んでくださるどなたか
(読んでくださる方がどなたか、知っている人もいます)
に向け、
きょう書くことを、いま書きたいことを少しでも上手に伝えよう
と願いながら、
ことばを用意し整えて書く(キーを打つ)
うちに、
知らず知らず、
だんだんこころが整うとでもいったらいいのか、
気持ちまで落ち着いてくる気がします。
それは、
とてもありがたいことです。
心理学で箱庭療法というのがあるそうですが、
「ものを書く」ことは、
それに似た効用があるんじゃないか、
とも。
具体的にはこのブログ、
「ものを書く」ことをとおして、
いわばわたしの無意識をじぶんで触診し、
じぶんのこころを安んじさせることになっているのかな、
と思います。

 

・梅の雨こころの井戸にとどきをり  野衾