金次郎さん『論語』を読む

 

二宮金次郎さんゆかり(二宮本家)の二宮康裕(にのみや やすひろ)さん
の『二宮金次郎の人生と思想』
をおもしろく読んでいますが、
金次郎さんが儒教の古典に親しんでいた
ことは、
知識として持っていても、
実際に何の本のどこをどのように読んでいたのだろう、
という興味がありまして、
そうしたら、
ちょうどその疑問にこたえてくれる箇所を目にしました。

 

金次郎は自らの意思を示すかの如く、天保八年(一八三七)、
「報徳元恕金貸付帳(『全集』二四巻八八八頁)」に『論語』から次のような引用をする。
哀公問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若対曰、蓋徹乎、曰二吾猶不足、
如之何其徹也、対曰、百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足。
再三にわたって金次郎はこの文言を書簡や仕法書に引用している。
金次郎の考えは常に「安民」あっての「富国」であり、
民が安寧に至るまで増徴は徹底的に避ける姿勢を貫いた。
(二宮康裕『日記・書簡・仕法書・著作から見た 二宮金次郎の人生と思想』
麗澤大学出版会、2008年、p.254)

 

『論語』の文言を、吉川幸次郎さんにならって書き下せば、

 

哀公、有若ゆうじゃくに問うて曰わく、年饑えて用足らず。之れを如何いかん
有若対こたえて曰わく、蓋んぞ徹てつせざるや。
曰わく、二だにも吾れ猶お足らず。之れを如何ぞ其れ徹せん也
対えて曰わく、
百姓ひゃくせい足らば、
君、孰たれと與ともにか足らざらん。
百姓足らずば、君、孰と與にか足らん。

 

吉川さんの解説によって記すと、
哀公さんは、孔子さん晩年の魯の君主。有若さんは孔子さんの弟子。
「年饑ゆ」は、今年は飢饉である、ということ。
「用足らず」は、財政が不足すること。
「之れを如何」は、どうしたらいいだろう。
「徹」は、税法上の用語で、十分の一税のこと。
財政難に困り果てている君主の哀公さんから対応策を問われた有若さんは、
十分の一税を実行しなさいと進言します。
すると哀公さん、
十分の二でも足りないのに、十分の一になどできるはずがない。
そこで有若さんいわく、
百姓すなわち人民が充足すればあなたも充足するわけであり、
あなただけ充足しないわけはない。
逆に、
人民が充足しなければ、あなたはだれとともに充足するつもりなのか。
こういうことですから、
二宮康裕さんの言にあるとおり、
金次郎さんの考えは、終始、「安民あっての富国」
ということになるようです。

 

・夏草や公園の道蟻の道  野衾