たたかう人の歌

 

いきなりですが、
中島みゆきさんの歌に『ファイト!』があります。
歌詞に、
「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」ということばがでてきます。
ある本を読んでいたら、
そのことばが、
ふと、
メロディーといっしょにあたまを過りました。
二宮金次郎さんゆかり(二宮本家)の二宮康裕(にのみや やすひろ)さん
の『二宮金次郎の人生と思想』。
それを読んでいたときのことであります。
この本、
おどろきの連続で、
「薪を背負って歩きながら本を読む」金次郎さんのイメージが、
つくられたものであり、
それがどのように生成されたのか、
時代の要請、歴史的背景とからめつつ
実証的に記述されています。
かつてかよった小学校の校庭にあの像があり、
風の日も雨の日も、雪の日も、台風の日も、カンカン照りの日も、
見てきて、
いまは本棚に小さなレプリカがあり、
まいにち見ているわたしとしては、
「ちょっとちょっと、わたしの金ちゃんが…」
みたいな気にもなりました。
でも、
それでも金次郎さんは偉いわけで、
ますます身近に感じられます。
金次郎さんは、
ことあるごとに歌を詠んでいました。
五七五七七ですから短歌ですが、
二宮康裕さんは道歌(生活実感をふまえ作歌された教訓を含んだ歌)
と呼んでいます。
紹介されている歌のなかに、
こんなのがあります。

 

うわむきは、柳と見せて、世中は、かにのあゆみの、人こころうき。

 

農業指導に明け暮れる金次郎さんの複雑なこころが
如実に表れていると思います。
この歌を見て、読んで、
稀代の教育者・斎藤喜博さんの歌と共通する
ものを感じました。

 

理不尽に執拗に人をおとしめて何をねらうのかこの一群は

 

こちらも、
あたらしい教育の事実を拓こうと日々奮闘する斎藤さんの、
憤懣やるかたのないこころかな、
と思わずにいられません。
たたかう人の歌と呼びたいゆえんです。

 

・あじさゐや寺の空気の深くなる  野衾