文字は文字以前を憧れる

 

のこりわずかとなりましたが、
仕事に関わるものを含め、今年もいろいろな本を読んできました。
なかでも印象にのこっているのは、
『字統』『字訓』『字通』を始めとする、
白川静さんの一連のものでしょうか。
白川さんの本を読んだときに感じる伸びやかさ、広がり、気持ちのよさは格別で、
これって何だろうなと思ってきました。
たとえば、
口偏の漢字の「口」の多くが「口」でなく
「さい(口の字の上の角の縦棒が少し上部に突き出ている。祈りのときに祝詞を容れる)」
であることを、
白川さんはことあるごとに力説していますが、
このことからも知られるとおり、
漢字は、
本来、
呪的なものであると言えそうです。
「呪的」ということばも、
白川さんの本によく出てきます。
その辺りをうろつき、眺めていているうちに、
ふと、
文字は、
白川さんの場合は漢字ということになりますが、
文字以前を憧れているのかな、
ということに思い至りました。
想像は、ますます広がり。
白川さん、楽しかったろうな。
文字以前の膨大な時間、
ことばが、にょろにょろ、にょきにょき、うごうご、たらたら、と~たらり。
「伸びやかさ、広がり、気持ちのよさ」
のもとは、
そこのところと関係していそうです。
白川さんの『著作集』のいくつかは
読んだけれど、
孔子関係、漢字全般に関するものはこれからですので、
来年の楽しみにしたいと思います。

 

・ぎんがぎが玻璃の枯野を眞神かな  野衾