終始私の仕事を見守り激励して下さっている宮沢清六氏に深い謝意を捧げたい。
旧版のときからそうだったが、
「たいていのところが大事」
というおことばを私はずっと呪文のようにつぶやいてきた。
すると私には元気が湧いた。
旧版の序文でも書いたが、
それはすくなくとも文学の研究者への頂門の一針とも思われる
清六氏の以下のおことばの要約であった。
――根ほり葉ほり調べることも大事でしょうが、
これだという極《き》め込みはできないのですから、
たいていのところでとめておく、
というのが、
まずはいいのではないですか。……
(原子朗『新宮澤賢治語彙辞典』第2版、東京書籍、2000年、p.7-8)
辞書、事典と名の付くものがどうやら好きで、
『広辞苑』を買ってもらったか、
はたまたじぶんの小遣いで買ったか、
忘れてしまいましたけれど、
(いや、百科事典の『ジャポニカ』のほうが『広辞苑』より前だったかな)
それを初めとして、
いろいろな辞書、事典類を買っては身近に置き、
必要に応じて、
引いたり調べたりしてきました
(辞書、事典類は、読むというより、引いたり調べたりするものと思ってきた)
が、
白川静の字書三部作(『字統』『字訓』『字通』)
の巻頭文を読んで以来、
辞書、事典類の巻頭文というのは、
それを作ったひとの、謙虚なこころ、熱きこころざしが、
緊張をともなった文とともに記されており、
そういう文にふれると、
なんとなく、
元気の源が刺激されるようで、
わたしも、
じぶんに与えられた仕事を頑張ろう、
と励まされます。
『宮澤賢治語彙辞典』はその後、
版元が変り、
いまは『定本宮澤賢治語彙辞典』が市中に出ていますけれど、
わたしが持っているのは、
そのまえの東京書籍版で、
東京書籍に対する著者の気持ちも、
なるほどとうなづけるところがあります。
まえがき、はしがき、巻頭文
を含め、
これぞと思う辞書、事典類をゆっくり読むと、
まえがき、はしがき、巻頭文
が光源となり、
先人の書物に対する情熱が、ひしひしと、伝わってくる気がします。
・鏡の吾《あ》十歳《とお》は若かりマスクして 野衾