幽遠の秘境に分け入る

 

数年前からこの書の新訳を発願し、そのために主なアラビア語原典や、
この説話集についての諸研究、および、すでに公刊された先人たちの翻訳書など、
なにくれとなく集めてみた。
しかしこの仕事は遅々として進まず、
日暮れて途遠しの感しきりであるが、
このものに対する興味が少しも減退しないのは、
まことに無限の興味をたたえた深山か大湖のごとき文献であるからでもあろう。
はじめての連山にわけ入り、
つづら折りの小径をのぼり、
野草の花の咲き乱れた山頂に佇んだり、険しい坂路を下りて、
渓流のほとりに坐り、
やぶ鶯の歌に耳を傾けたりするのは
楽しいものである。
この小著は、
アラビアン・ナイトの世界の
ほんの一隅をたどった夏のある日の記録にも譬うべきものであるかもしれぬが、
私としては、
さらに幽遠の秘境にわけ入る足がかりとしたい念願
をこめたものでもある。
(前嶋信次『アラビアン・ナイトの世界』平凡社ライブラリー、1995年、pp.10-11)

 

この本はもともと、1970年10月、講談社現代新書として刊行されたもの。
わたしの手元にあるのは、
それの復刊。
『アラビアン・ナイト』の日本語訳は、
英語、フランス語からの翻訳がいろいろあるなかで、
日本で初めてアラビア語原典から翻訳したのが前嶋信次さん。
東洋文庫に入っている『アラビアン・ナイト』は、
別巻を含めすべて所持していますが、
1~6までを読み、
いま振り返れば、そこで息切れしたか、
はたまた、
これは一気に読むような本ではない、と思ったか、
とにかく、
6巻まで読んで、
のこりは読まずにそのままになっています。
それがどういう関心の巡りか、
そろそろのこりを読んでみようかな、
という地点にたどり着いた?
の感があり。
たとえば、
前嶋信次、諸橋轍次、白川静、関根秀雄、石川理紀之助などの経歴にふれ、
その方々の書き残した書物をなぞっていくと、
時間の使い方に共通したところがあると感じます。
敬仰する先人たちの清々しい霊峰を仰ぎ見、
いただいた命の限りを、
ひたすらに、楽しんで生き切りたい。
読むのも、作るのも、
このごろやっと、
落ち着いて本に関わることができるようになった、
気がします。

 

・セブン前売れずや冬のシクラメン  野衾