血縁

 

・霧晴れて四方連なる蔵王かな

この連休を利用し帰省した折のことです。
弟に車を出してもらい森山に登った帰り、
実家に曲がる手前の坂を
スピードを落として下りてゆくと、
道沿いの畑をSさんが
背に赤ん坊を負ぶい鍬で耕していました。
Sさんは弟の教え子です。
弟は車を停め窓を開けて、
Sさんに声をかけました。
車に同乗していた父も助手席から声をかけます。
Sさんは、
朗らかに笑いながら答えます。
後部座席に居たわたしまで、
からりと晴れてゆくようでしたが、
その笑顔はわたしに馴染みのものでした。
Sさんのことは、
帰省した折に数度見かけた程度ですから、
よく知りません。
しかし、
Sさんのお母さんならよく知っています。
道を挟んで向かいの家ですから、
子どものころ、よく遊びました。
そのお母さんの、
さらに
先年亡くなられたお祖母さんの笑顔に、
Sさんの笑顔はそっくりでした。
あたりまえといえば、
これほどあたりまえなことはありません。
不思議な感慨に捉えられて数秒、
車はとっくに
家の前まで来ていました。

・山登り紅葉に逢ひて驚きぬ  野衾

恵方巻き

 

・秋の山銀色カモシカ耳立てり

埼玉県新座市にある女子大学へ行ってきました。
神奈川から
東京を越えて行くことになりますから、
それなりに時間がかかります。
朝の湘南新宿ラインは
通勤客でごった返しています。
わたしは保土ヶ谷駅から電車に乗りましたが、
横浜駅で多少乗降客の入れ替えが起きた隙をねらい、
ドアとシートの角のスペースを確保し、
ホッと溜息をついて、
学生たちに紹介する本のページを
もう一度繰りました。
電車が西大井に着きました。
ホームには乗車する客が列を成しています。
ドアが開き、
一人降り、
また一人降り。
と、
わたしの右横に居た客が降りたい顔をしています。
わたしがどうも邪魔をしているようなのです。
わたしは、
確保した自分の居場所を離れ、
彼が降りやすいように道をつくってあげました。
したら、
彼は、降りたそうな顔をしたのに、
降りませんでした。
え!?
降りるんじゃなかったのかよ。
そ、そんな。
あれは、絶対降りる顔だったよ。
降りねーのかよ。
なんだ。
だったらそう言えよ。
気づいたときにはすでに遅し。
わたしは、
恵方巻きの具のように、
なだれ込む客にぐるぐる巻かれ、
大混雑のど真ん中に追いやられたのでした。
手荷物をギュッと握り締め、
キッと顔を上げて
降りたそうにしていた件(くだん)の男を探しました。
ニヤリと笑った男の鼻穴から、
雑草のように
黒い毛が食み出していました。

・綱ゆらりロープウェイの秋深し  野衾

森山

 

・霧裂きて屹然たりし蔵王山

もりやま、と読みます。
我がふるさと井川町の隣り、
五城目町にある山で、
平地ににょっきりと佇立(ちょりつ)しています。
その頂上にある石碑が気になり、
五月の連休に訪れましたが、
その後さらに調べたいことが生じ、
弟に車を出してもらい、
再び登ってきました。
資料が残されていないか、
あってもまだ見ることが叶いませんので、
確かなことはわかりませんが、
それだけに
なおさら興味は尽きません。
昭和四年生まれといいますから、
わたしの父より二歳年上の、
小浜信夫さんから
いろいろと教えていただき、
森山山頂へも同行していただきました。
目的の石碑についての説明を伺い、
山頂からの眺めを楽しんだ後、
急坂をそろそろと車で下りていたとき、
目の前にいきなり
二匹のカモシカが悠然と現れ、
こちらを見ています。
銀色に輝く毛並みの美しさに見とれ、
写真に撮ろうと
あわてて外へ飛び出し
カメラを構えて追いかけましたが、
とんとんとんとカモシカは静かに歩き、
藪だらけの崖に姿を消しました。
野生のカモシカの
物言わぬ威厳にうたれ、
しばしホーと溜息を洩らしました。
小浜さんが、
「カモシカがでるをなぁ。やっぱりなぁ」、
ぽつりと言いました。

・鰯雲夢と不安はつづきをり  野衾

石巻へ 2

 

・店店の火事と思へば秋刀魚なり

来週火曜日、
埼玉にある女子大学で、
「地域メディア論」担当教授のゲストとして、
話することになりました。
石巻へ本の印税を届けに行ったことを中心に話すつもりです。
地域メディアとの関連で
話の内容を考え、
吟味しながら、
わたしに中央志向はあるかと自問すると、
たぶん無い、か、
あまり無いなと自答します。
小学生のとき、
県会議員の立候補者が
我が家で演説会をすることになり、
隣近所の人々がどやどやとやって来ました。
わたしは奥の部屋にこもりました。
父や叔父から“先生”にあいさつしなさいと
いくら勧められても、
柱につかまって、
てこでも動きませんでした。
権威が嫌いとか、そういうんじゃなくて、
ただ単に人見知りな性格だっただけだと思います。
が、
権威をかさに着るひとは
やはり好きではありません。
大学の先生でたまに、
研究室の椅子にふんぞり返り、
訪ねていったこちらに向かい、
股をおおっぴらに
これでもかというぐらいに
広げていらっしゃる方がいて、
ははあ、
いんきんだなと一瞬思いますが、
いや、
いんきんは若者がかかる病気だから、
この人は、
ただ偉ぶっているだけかと心のなかでつぶやきます。
こういうことを
ツイッターでつぶやくといいのでしょうか。
ともかく。
中央志向が少なかったこと、
あるいは、人見知りな性格だったことが、
既成の価値観にあまりとらわれずに
これまでやってこれた所以かとも思います。
わたしがもっとも大事にしているのは、
人とのご縁です。
若いときはわかりませんでした。
歳を重ねるにつれ、
ご縁の不思議に打たれ、
その世界で精進しようと思うようになりました。
大きなものより小さなもの、
力よりはかなさ、
中央より地方、中央のなかの地方に、
今回の震災で多くの人が目を向けるようになったと思います。
神奈川新聞「自転車記者が行く」のコラムを
きのうに引きつづき。
コチラです。

・初秋刀魚に白いご飯あればよし  野衾

石巻へ

 

・くの字にてドッジボールを腹で受く

先月二十九日、
神奈川新聞社の自転車記者こと佐藤将人さんと
宮城県石巻市へ行ってきました。
何をしに?
はい。印税を届けに。
何の本の?
はい。『突撃! よこはま村の100人 自転車記者が行く』の。
著者は佐藤将人さん。
東日本大震災が起きて、
いろいろなかたちの支援がなされましたが、
出版社としてできることはないだろうかと考え、
わたしの行きつけの床屋のご主人の
ことばをきっかけとして、
佐藤記者に働きかけ、
上司の方ともお話させていただき
快諾を得、
佐藤さんの連載コラムを一冊の本にまとめ
好評を博し、
それが今回のことにつながりました。
しぶとさが大事だと思っています。
さて、一年ぶりに訪れた石巻。
大人ももちろんですが、
子どもたちは深い大きな傷を負い、
それがなかなか癒えず、
したがって、
ことばにならないようです。
泣いている子に、
なぜ泣いているの?と訊くような
愚は避けなければなりません。
被災した子どもたちが
ことばをみずから発するようになることが、
復興の一つの証だろうと思います。
そのことのために大人は、
温かく見守る、
ことも大事ですが、
な、いっしょに行こうなと、
同行の支えとして働かなければなりません。
一般社団法人キッズ・メディア・ステーションを立ち上げた
太田倫子さん、門脇篤さんのことばに
静かながら決然としたものを感じました。
今回の石巻行について、
佐藤さんが
さっそくコラムを書いてくださいました。
コチラです。
つづきは、
今日の神奈川新聞に掲載される予定です。

・鰯雲九十歳は重たかり  野衾

退屈讀本

 

・閑かさや秋の日に読む昆虫記

朝のコーヒーを淹れる隙間の時間で読んでいた
薄田泣菫『茶話』が終ったので、
この時間のつぎに読む本は
佐藤春夫の『退屈讀本』。
「読」の字が「讀」となっています。
冨山房百貨文庫にも入っていますが、
わたしが持っているのは
大正十五年に新潮社から出版されたものです。
発行者は佐藤義亮。
そのいちばんはじめに
「文體の事、その他」とあって、
チエホフについて書かれています。
今ならチェーホフと表記するところでしょう。
「「チエホフの手紙」を僕は同じ人の作品よりももつと愛してゐる。さう斷言出來る。そのなかには親愛で明快で内氣でしかし毅然とした人柄が、作品よりももつと直接に、さうしてもつと「雅致」を持つて一行ごとに生きてゐる。作品には型があるが、手紙には人柄だけしかない。……」
ふむ。
手紙には人柄だけしかない、か。
中央公論社からでている『チェーホフ全集』
売っちゃったしなあ。
「愛してゐる」ってか。
ふむ。
書簡を収録した二巻分だけでも買い戻すかな。
こうやって、
また本が増えていきます。

・渦巻きの風や熱帯低気圧  野衾

ギョイ

 

・一日の終りの愉楽845

おしりが痒くなることがあります。
おしりの山のいちばん肉が付いているところ。
無性に痒くなります。
ふつう、
こういうときの擬声語はボリボリ。
ボリボリとかく、
みたいな。
でも、
おしりの肉をかいているときの音を
よく聴いてみると、
ボリボリとは鳴りません。
ギョイギョイみたいな音がします。
ギョイギョイギョイギョイ……。
これも一つの発見で、
そうなると追究したくなって、
さらにかく。
鏡に映るわたしのおしりは真っ赤っ赤。
それでもギョイギョイギョイギョイ……。
ん。
ん。
むむ!?
そうか。
そうだったか!
おしりの肉は大殿筋(だいでんきん)
または大臀筋(だいでんきん)。
グーグルで検索すると、
大殿筋のほうが数が多い。
真ん中に殿(との)の字が入っているではないか!
そこでギョイ。漢字で書くと御意。
しかして御意とは。
大辞林によれば、
ぎょい【御意】
①貴人や目上の人を敬って、その考え・意向などをいう語。
(ア)おぼしめし。おこころ。「――のまま」「――に従う」
そうか。
大殿筋は殿の筋肉だから(そうじゃないだろ)、
それを敬って
ボリボリかいても御意御意って鳴るのか。
そうなると、
おしりをかくたび
その単語に羽が生え
蝙蝠(こうもり)のように空中を飛び交うようになりました。
御意御意御意御意御意御意御意御意御意御意…。

・カップ麺のカップ吹っ飛ぶ野分かな  野衾