会話

 秋田に帰ってくると、床に就くのが早いせいか、目覚めも早い。数日しか居ないし、もったいない気がして、目が覚めたらすぐにサンダル履きで外へ出、朝の空気を吸う。もやがかかった山々や田んぼの緑を眺めていると、こっちまで潤ってくるような気がして清々しい。
 庭を歩きながら植木の成長ぶりを見るのも楽しい。めでたいことがあるごとに祖父は木を植えていたが、自分に関することは知っていても、全部は憶えていない。感傷的な気分に浸りながらさらにゆっくり歩く。蛙がどぼんと池に飛び込み石に這い上がり、あさっての方角を見ている。カラスたちが金兵衛さんの畑の栗の木に集まりぎゃーぎゃー鳴いている。よほど暇なのか、リズムを変えたり声色を使ったり。陰に隠れて見えないのもいるが、六、七羽はいるだろう。
 目の前に太い釣り糸のような白い糸が現れた。触ると弾力性があり、切れるものではない。糸の先を見ると、ヤドカリ大の蜘蛛がいた。でかい! でか過ぎ! こんなのにひっかかったらたまったものではない。さっきまでの感傷的な気分が一気に吹っ飛ぶ。
 いつから見ていたのか、縁側から母が、「その糸にトンボでもチョウチョでもなんでも引っ掛かるのよ」と声を掛けてきた。驚いて振り向いたが、わたしはそれには答えない。
 夜、酒を飲んでいたときだ。母から聞いていたのか、父が突然こんな話をし始めた。「おれは不思議なのだよ。あのでかい蜘蛛のことさ。屋根のひさしから柿の木までは優に八メートルはある。どうやって糸を張ったものか。いったん地面に下り、それから歩いていって木に登ったのだろうか」。「きっと風に乗って運んだのさ」。それから父はまたわたしのコップに酒を注いだので、蜘蛛の話題はそれっきりになってしまった。テレビでは巨人-阪神戦が3対3のまま延長戦へ。父もわたしも弟も右ひじを折り曲げ枕にし「川」の字で野球観戦。母は台所で洗い物。奥の部屋では子どもたちがゲームに夢中。こんな時間がほしくて田舎に帰ってくるのだと思った。