Archives : 7月, 2005

追体験

 『鬼平犯科帳』の主人公・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)長谷川平蔵が、事件に少なからず関係している女とも知らず、茶屋の女に入れ揚げ情痴に走る部下の忠吾に対し、事件終息後「お松がことは、お前の胸の底ふかく仕まっておけい。年をとってからのたのしみになろうよ」と戒める場面(「谷中・いろは茶屋」)がある。
 然り。その時その時で体験することの味わいと、追体験、つまり思い出の味わいとでは確かに異なるものだ。頭の毛もだが、思い出も、時と共に薄くなりしみじみしてくる。それがかえって切ない。時間には勝てない。永遠なんてない。喜びも悲しみも束の間だ。うっ、うっ、うっ、うたかた。平家物語。祇園精舎。いつかは死ぬ。チ〜ン! なんて。
 ところで歌というものは追体験を喚起し沸騰させる触媒作用もあるらしい。インターネットでCDを検索していて投稿コメントをみていると、思い出に浸りつつ、なつかしい、素晴らしい、島に持って行くならこの一枚、大、大、大傑作! という文脈で書かれたものが相当数ある。『懐かしのメロディー』という番組が毎年恒例で放送されるのも、歌と追体験の味が切っても切れない関係にあるからだろう。
 してみると、この歌がいい、あの歌がよかったといっても、実のところ、この歌あの歌そのものがいいというよりも、うがった言い方をすれば、この歌あの歌を聴いていた時の自分が気持ちよかった。だから、その気持ちよさにまた浸りたい。気持ちよくさしてくれい! って、そういうことかもしれない。
 だって、投稿コメントを見ていると、究極がいっぱいあって、究極だらけで、判断に困ってしまう。「最終的に自分の判断で購入してください」と注意書きしているサイトもある。そりゃそうだ。そうだけどさぁ。
 話が逸れた。さて、『鬼平犯科帳』で忠吾があきらめたお松がもしも松たか子だったら、なかなかあきらめ切れるものではなかったろう。
 ん!?

良医

 昨日この欄に「おらいの先生」という題で日記を書いた。写真家の橋本さんに頼まれ、出力し、橋本さんはそれを「おらいの先生」の息子さんにFAXした。
 わたしは日記で「おらいの先生」について、「地元石巻市で名医の誉れ高かった清佶(せいきち)さんの家族写真がある。」と書いた。それを読んだ息子さんが橋本さんに「うちの親父は、名医というよりも良医という感じではなかったか」のコメントを電話で洩らされたとか。なるほど。わたしはそこに身内だからこそ感じ取るニュアンスの違いがあることを思い知った。
 「名医」も「良医」も辞書で調べれば、すぐれた医者、ということになる。が、文字通りの意味としては、「名医」は名のある医者、「良医」は単純に良き医者だ。名のある医者になるためには良き医者であることも必要かも知れぬが、それだけでは済まないこともあろう。また極端な話、良き医者でなくても、他の条件を積み重ねることによって名医にのし上がることも可能かも知れぬ。本人に確認したわけではないから間違っているかもしれないが、「おらいの先生」の息子さんが「名医」でなく「良医」と言ったことの中に、「清佶っつぁん先生」に対する情愛がしみじみと込められているような気がして、こういうことは大事にしなければならないと思った。
 そんなわけで、昨日の日記、「名医」を「良医」に訂正させていただきました。

おらいの先生

 写真家の橋本照嵩来社。写真集『北上川』のキャプションについて相談し、適宜位置を決め、武家屋敷にパソコン上で処理してもらう。
 今回の写真集は、写真家橋本が故郷「北上川」を半世紀かけて撮ったものであり、私的な写真も数点含まれている。中に、地元石巻市で良医の誉れ高かった清佶(せいきち)さんの家族写真がある。他の写真に埋もれるようにひっそりしていると思ったら、写真の中の空気と人物がきのういきなり動き出した。
 家族四人の表情、たたずまいがなんとも自然。清佶さんの人の良さが目元、口元に現れており、父のあぐらに抱かれた娘さんのくすぐったそうな喜びあふれる笑顔はネズミ花火のようでもあり、それを見遣る慈愛に満ちた母のほほえみはどんな女優も敵わない。息子はポカーンと乾パンみたいなものを目に当て安心しきって遊び、なんだかいかにも男の子っぽい。時間が経っているのに、家族というのはこういうものと静かに圧倒的に語りかけてくる。
 子供たちの母はかつて銀座コロンバンの看板娘として働いたことがあるそうだ。美人の誉れ高く、道行く人にたびたび声をかけられたが、結局幼なじみの清佶さんと結婚し病院を切り盛りして来た。あぐらの中の娘さんは現在看護婦長、乾パンを持つとぼけた幼子は立派な医師になっている。それにしてもこの写真、四十年の時を超え語りかけてくるのはなぜなのか。写真家がポッと訪ね「撮らせてください」と言って撮れる写真ではない。家族四人とも実にリラックスしており、プロのモデルでもないのにどうしてこういう表情ができるのかと不思議。ヒントは清佶さんの呼称にありそうだ。
 清佶さんのことを地元の人は親しみを込めて「おらいの先生」「清佶っつぁん先生」と呼んでいた。もちろん後にプロの写真家になるはずの若き橋本も。そういう関係がこの写真からほの見える。見れば見るほどいい写真、こころとこころの通いあいがくっきりと見える写真だ。故人になった清佶さんを偲んで、年に一度のゴルフコンペが今も開かれている。

千葉修司

 この二月から窪木君というアルバイトの学生が会社に来ている。紅葉坂を上る窪木君を後ろから見ていて、ふと、寺山修司を思い出した。そのことをあるとき窪木君に告げたら、窪木君は寺山が好きなのだと言う。あこがれだと言う。窪木君は千葉県出身。それならというので、窪木君に「今日から君は窪木君ではなく、千葉修司!」。以来、ぼくは窪木君を本名で呼ばずに千葉修司と呼んでいる。このごろだんだん呼ばれ慣れてきたのか、千葉修司は「千葉修司!」と呼ばれると「はい!」と返事する。アハハハハ…
 ぼくは「千葉修司」の音が大好きだ。どう言ったらいいか。「ちばしゅうじ」をちょっぴりデフォルメし「ちばっ、しゅうううううううじ」あるいは「ちばっ、しゅうううううううじぃいいいいいっ!!」とやる。わけもなく、なんだかとっても楽しい。今はどうか知らぬが、昔、バスケットシューズのことを略してバッシュと言った。バッシュ。それに「ち」を付けると「ちバッシュ!」。おもしれえ!!
 仕事に行き詰まったり、退屈したりしてくると、ひとりで「ちばっ、しゅうううううううじ」あるいは「ちばっ、しゅうううううううじぃいいいいいっ!!」。すると、向こうのほうから千葉修司が「はい!」といい返事を返してくれる。この頃はぼくの遊びがだいぶ分かってきたらしく、遊びだなと思ったときは千葉修司は返事をしなくなった。そうなればなったで、むむ、おぬしなかなかやるな千葉修司。「ちばっ、しゅうううううううじ」あるいは「ちばっ、しゅうううううううじぃいいいいいっ!!」。際限がないのである。

お盆

 きのう、亡くなった祖母が夢に出てきた。まだ七月だから帰ってくるのがちょっと早い。正月とお盆はこのところ故郷で過ごすことが多く、今回も既に新幹線の切符を取った。わたしの性格からして予約チケットなど取りたくないのだが、「こまち」には自由席がないのだから仕方がない。
 お盆にはご先祖さまの霊が帰ってくる。それは民俗学のテーマかもしれないが、学問とは関係なく直やかにこころに想起される。田舎に帰り、歩いて行くこともあれば面倒臭くてクルマでわっと行くこともあるけれど、墓参りへ向かう途中途中で目にする家並みは、屋根や壁は新しくなっていても位置まで変わったわけではなく、なつかしい。また、一年に一度の霊を迎える儀式に臨み、静かに華やいでいるようにも見える。玄関先から猫のように子供が飛び出してきて、見れば、昔この辺で見かけた子に似ていると感じることもしばしば。同級生の子ならもっと大きいはずだから、そのまた甥っ子、姪っ子でもあろうか、それでなければ幼くして亡くなった死者の霊かも知れぬのだ。
 お盆には花火。同級生と語り合ったり親戚一同集まってのドンチャン騒ぎはまさしくこの世の花火で、盃の縁にも霊は宿っている。終ればシーンとした闇の中で大人しく眠りにつくしかないけれど、霊を迎えることでこころに甘い蜜が注がれたように思えるのは、ただ気のせいばかりとも言えない。酔いは一層まわり眠りはさらに深くなる。そういうことは誰も口にしないけれど、ずっと村々家々に引き継がれていて、朝起きて夜眠るまでのつとめを一年、今日も一日、元気でつつがなく果たすための原動力になっているに違いない。
 さて祖父は。生前と同じにちょいときざな帽子を被り、軽装な身なりで帰ってきては「お、帰ってきたか」と反対に、きっと声をかけてくれるだろう。最晩年、「おまえはすこし酒を飲み過ぎる」と注意されたことがなつかしく、今となってはありがたい。

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。