連想ゲーム

 編集中の『刺青墨譜 なぜ刺青と生きるか』の装丁ラフ二案を著者に送付。
 第一案は、「見る-見られる」ことを象徴的に表現するため、顔にメイクを施した男性の眼を画面一杯にあしらった。眼の縁、メイキャップの線一本一本が特別の意味を帯びてきそうでおもしろい。たがおが作ってくれたラフを見、古代人の信仰と知の結晶、あのナスカの地上絵を連想する。男性の顔のメイク、そもそも愛知県で見つかった人面文土器の刺青を忠実に再現したもの。
 第二案は、稀代の写真家・橋本照嵩に撮ってもらった刺青写真のうち、女性が膝を抱えて丸くなった背中をとらえたもの。丸くなっている分、魚眼レンズできみを覗いて、みたいになり、宇宙船から見た地球表面のようでもある。胸のかげりが細胞分裂を繰り返す前の受精卵をも連想させ、時間性、記憶の意味を見る者に告げている。天女が命のエネルギーを吹き込まれ、今まさに飛翔せんとするかのようだ。
 刺青、「眼と時間」ということに結局なるだろうか。痛みを伴い。ふむ。
 沖縄の針突(はづき)の写真を本にどうしても入れたくて、ポーラ文化研究所に連絡したところ、まったく偉ぶるところがなく、とても親切に対応してくれたうえに、欲しい写真が入った貴重な雑誌を、貸してもらえればありがたいと思っていたら、なんと売ってくれた。ありがたし! そこに針突に関する文章を書いている当間先生(写真も)に転載許可のお願いをした際、すぐに快諾してくださったのも嬉しかった。
 さて、どんな本に仕上がるか。来月末の刊行。