さまざまのこと 2

 

ふるさとの思い出といえば、やはり、小学、中学時代のいろいろが輝いている
ようです。
小学生のとき、
テレビアニメで『遊星少年パピイ』というのがありました。
おなじ頃『宇宙少年ソラン』というのもありました。
わたしは、どちらかというと、
『宇宙少年ソラン』のほうを、よく観ていたと思います。
ソラン、ソラン、ソランとリフレインする主題歌も、
なんとなく覚えています。
Aくんは、ちがいました。
『遊星少年パピイ』が圧倒的に好きだったんではないかという気がします。
どうしてそう思うのか。
以下のようなAくんをよく目にしたからです。
と、そのまえに、
触れておかなければなりませんが、
そもそもパピイという少年、地球外の星から来て地球人に姿を変えているのですが、
ここいちばんというときになると、
「ピー、パピイ!」
と叫び、
もとの遊星少年になり悪を退治する。
さて、Aくん。
たとえば、学校の授業と授業とあいまの休憩時間、
子供たちがトイレに行く。
男子トイレに数名の子供がならんで用を足す。
窓から見える景色に目をやりながらのあの時間もなつかしい。
用を足し終えると、手を洗って教室へ。
手を洗わない子も少なからずいた気がします。
というような場面で、
いきなりAくん、
「ピー、パピイ!」と大声を発し、タタタタタ…
一目散にトイレから走っていく。
そういうシーンをたびたび、たびたび目にしました。
「ピー、パピイ!」タタタタタ…
「ピー、パピイ!」タタタタタ…
トイレで用を足すことと、
遊星少年に変身することにどういう関連があったのか、
なかったのか。
用を足してスッキリした気分が「ピー、パピイ!」と叫びたくなる原動力になった
のであろうか。
いまとなっては分かりません。
これも、同期会でAくんに会ったら聞いてみようかな。

 

・伊勢山や表裏見せ新樹光  野衾

 

さまざまのこと 1

 

ふるさとは思い出にみちていて、こんかいの帰省でも、道を歩いていると、
いろいろなことが思いだされてきます。
秋田の桜はこれから満開を迎えるようです。

 

さまざまの事思ひ出す桜かな  松尾芭蕉

 

Yくんとのこともそのひとつ。
中学一年の冬だったと記憶しています。
試験の前日、一夜づけの勉強で寝不足をし、翌朝、自転車で学校に急ぎました。
学校に着くことは着いたのですが、
寝不足に加え、寒いなかを自転車を激しくこいだせいか、
着いて早々、靴置き場のところでフラフラとなり、
床にくずおれてしまいました。
と、
うしろから声をかけられた。
ふり向くと、Yくん。
二言三言ことばを交わしたと思いますが、おぼえていません。
Yくんはわたしを抱え(あるいは背負って)保健室まで連れていってくれた。
保健室の先生に事情を話し、ベッドに横になり、
しばらく休ませてもらいました。
Yくんに、もうだいじょうぶだからと告げ、Yくんは教室へ。
10分ほど横になっていたでしょうか、
息もととのい、
めまいも落ち着いたようですから、
そのことを先生に話し、荷物をもって教室へ向かいました。
試験はすでに始まっていましたが、
それほど遅れずに臨むことができたのは、
Yくんのおかげです。
何年かぶりで八月に同期会があるそうですから、
Yくんが参加したら、きいてみようかな。
忘れているかな。

 

・千年の記憶を今を新樹光  野衾

 

納骨式

 

ことし1月22日に他界した母の納骨式のため、秋田に帰省しました。
あいだが空いたのは、冬が終り、
あたたかくなってからにしようと申し合わせていたためです。
12日の秋田は、最高気温16度で空は晴れわたり、
すがすがしい一日でした。
弟が事前に準備し、お寺さんをよび、くるま三台で墓地へ。
丘の上の墓地は、春の清新な気に満たされ、小さな蛙が畑地をとび跳ねます。
遠くで雉がどくとくの声をひびかせています。
墓石を洗い、石をずらしてお骨を納めます。その間、
おごそかな読経の声。すべてを納めて、
石をもどします。
あらためて花をそなえ線香を立て、ろうそくに灯をともします。
一同合掌。
お寺さんを見おくり、
墓の周りをととのえ帰路につきます。
弟がぽつり、
「かあさんはここにはいないよ」
弟の発したひと言は、わたしの気持ちでもありました。
横浜に帰ってき、
部屋に置いてある母の小さな写真に向かい、
「かあさん、いま帰ったよ」といえば、
母は、いつものごとく両手をあげ、「ああ、帰ってきたが」
と迎えてくれます。

 

・日を浴びて風と菜花のつづくかな  野衾

 

さくら散る

 

わたしの住んでいるところは、山のうえというか、崖のうえにあり、
そこから南のほうへ向かい、
それほど広大ではありませんけれど、
崖が、ちょうど伊良湖岬を思わせるように湾曲しており、
その先に鋭くとんがった三角屋根の家があります。
横に大きな桜の木。
ときどき台湾リスが遊び回ります。
咲きはじめから満開に至るまで、ことしもずいぶん楽しませてもらいました。
三日まえから散りはじめました。
螺鈿につかわれる、
たとえば夜光貝の殻のうすいかけらをさらに薄くしたような切片が、
オモテ、ウラ、オモテ、ウラと、
まるで時を惜しむかのように、キラキラ、キラキラ、
舞い落ちます。
時を忘れ、しばし無音の舞を眺めていました。

 

散る桜残る桜も散る桜

 

良寛さん辞世の句とされていますが、そんなことばも連想されます。
さくらが散る姿を、
これまで幾度となく目にしてきましたが、
母がいなくなった世界で初めて目にするさくらでした。

 

・春光や昔に潟の帆掛舟  野衾

 

追悼・横須賀薫先生

 

ながいあいだお世話になった横須賀薫(よこすか かおる)先生が今月7日に
お亡くなりになりました。享年88。
先生と初めて会ったのは、
わたしが横須賀の高校で教員をしている頃でした。
四十年以上前のことになります。
林竹二さん、斎藤喜博さんと親しくされ、また教えを受け、
おふたりの教育思想を統合し実践することを念願とされているとお見受けし、
講師としてお招きしたのでした。
勤めていた学校の教員たちのまえで、
「横浜生まれの横須賀です」
と、横須賀先生は自己紹介されました。
その後、わたしは学校を辞め、東京の出版社に身を置きました。
そうしたら、
そこでも横須賀先生とのご縁がありました。
斎藤喜博校長のもとで研鑽をつんだ先生たちによる研究報告の冊子「島小研究報告」
を書籍化する仕事を、横須賀先生監修のもと、
させていただきました。
宮城教育大学の学長を退任されたあと、
先生は十文字学園女子大学の学長を務められましたが、
先生に乞われ、半年間、大学で講義を受け持ったこともありました。
いつも気にかけてくださいました。
出版人であることの特徴を生かし、
詩人、文学者、画家、書店員、装丁家を招いて、
話をしてもらったり。
仲間と春風社を起こしてからも、ご縁はつづき、
新版 教師養成教育の探究』(2010年)
斎藤喜博研究の現在』(2012年)
教育実践の昭和』(2016年)
を出させていただきましたが、
昨年10月に刊行した『教師教育五十年 「ひよことたまご」の教育実践
がさいごになりました。
会えば、いつもにこにこされ、
先生には申し上げませんでしたけれど、
先生を思うときは、
わたしはいつも、『となりのトトロ』に出てくる猫バスを連想しました。
茶目っ気があり、
チャーミングなお人柄がそう思わせていたのかな、
と思います。
ながきにわたるこれまでのご縁に感謝し、
つつしんでご冥福をお祈りいたします。

 

・潟を行く寒風山へ桜かな  野衾

 

花見

 

先週土曜日、なじみのそば店へ向かう途中、掃部山(かもんやま)公園に立ち寄り
ました。
よく晴れていましたから、
井伊直弼像の下をはじめ公園のあちこちにブルーシートが敷かれ、
花見客がにぎわいを見せています。
わたしと家人は、さくらを見あげ、ゆっくり通りすぎるだけでしたが、
そこにつどう方々の華やいだ雰囲気が伝わってくるようでした。
ふと思い出しました。
まえに勤めていた会社で、
一度か二度、
場所と日を決め花見をしたことがありました。
社員はもちろん、
行きつけの居酒屋の主人やスナックのママさんも招いて。
そういうことの好きな社長でした。
川が近くに流れていたようでもありますが、
はっきりと思い出せません。
たのしかったことだけ、参加した人の声と笑顔だけ、おぼえています。
横浜近辺のさくらは、そろそろ散り始めました。
この時期の風情も、
これはこれでなかなかの味わいです。

 

・伐られずの畑の横の桜かな  野衾

 

ゲーノさんの『ルソー伝』4

 

ゲーノさんの『ルソー伝』からそろそろ離れようと思います。

 

われわれが二人いっしょに、奇妙な、ときには幻想的な親密さのなかで暮らすように
なってから、かれこれ十年の月日がたつ。
私は彼に無礼を詫びたいほどの好奇心、あつかましさ、苛酷さで、
彼のすべてを眺め、すべてをほじくりかえした。
というのも、私はなにもかも知りたかったからだ。
それ以来、
私には自分の人生より彼の人生のほうがはるかによくわかるようになった。
人には自分自身の人生はわからないものだ。
あるいは少なくとも、
われわれのうちのなにかがつねに知られることを拒むのである。
私は彼の内部で生きることができた。
それも、すべてが混じり合い、誠実が偽善に変わるのが見えるあの深み、
自分が問題の場合には、
人が見つめたがらないあの深みにおいて。
このおそらくは無謀な企てを手がけるにあたって、
私のいだいた野心の一つは、要するに、人間とはなにかを知ることであった。
いまでは私は、
まえよりいくらかよく人間のことがわかるようになったと思う。
われわれはたえず虚栄心、利害心、自己保存の本能によって欺かれるため、
自分自身から出発しては人間のことはわからない。
しかし、
だれか他人の人生を愛情と厳しさをもって見つめるならば、
やがてはいくらかわかるようになる。
まして相手が自分自身について冗舌であって、
彼の人生のさまざまな情況が彼に関する多くの資料を積みあげた場合には。
(ジャン・ゲーノ[著]宮ヶ谷徳三・川合清隆[訳]
『ルソー全集 別巻1 ジャン=ジャック・ルソー伝』白水社、1981年、p.675)

 

じぶんも人間の端くれなのに、じぶんでじぶんを知ることはむずかしい。
人間を知ることは、ほとほとむずかしいようです。
いつ、何をしたかをこまかく並べても、
それ(はだいじなことですが)だけでその人間を知る
ことにはなりません。
こころの問題がありますので。
教育哲学者の林竹二さんの本に『若く美しくなったソクラテス』
があります。
ソクラテスについて、いろいろな人が書いているけれども、
わたしが問題にしたいのは、
他の人でなくプラトンにとってのソクラテスなのだ、
ということを林さんは述べていますけれど、
ゲーノさんの『ルソー伝』(原題:ジャン=ジャック)は、
『若く美しくなったソクラテス』をほうふつとさせる、
愛情と厳しさをもった伝記であると思いました。

 

・何事も早口になる新学期  野衾