さまざまのこと 7

 

1957年生まれのわたしは、給食というものを体験していません。教育実習で母校の
中学校を訪れたときに、遅ればせながら体験しました。
給食のない時代にどうしていたかといえば、
それは弁当です。
小学、中学、高校と12年間も弁当持参。
学校で弁当を食べる時間というのはどくとくで、
待ち遠しいけれども、なんとなく恥ずかしい時間でもあり、
みんな割と無口で、
ほかから見られないよう隠し気味にしながら食べていたように記憶しています。
あれ、なんだったんでしょうね。
わたしの小学時代の弁当のおもなおかずといえば、
輪切りにしたイカの醬油煮。
おかずはほかにもあったはずなのに、
イカの醬油煮が圧倒的に記憶に残っています。
なんてぜいたくでわがままなことを、と、いまでこそ思うのですが、
当時は、
「またイカの醬油煮か」と勝手なことを思ったもの。
醤油がごはんのほうへ染み出したり、イカが白っぽく変色しているのも、
なんとなく見栄えがよくない気がした。
そこへいくと、Kくんの弁当の色鮮やかなことといったら!
四角い弁当の全面に炒り卵が敷きつめられ。
いいなぁ、おいしそうだなぁ。
ほかのひとはどうかな?
キョロキョロと。
目についたのはYくん(「さまざまのこと 1」に登場したYくんとは別)の弁当。
焼きサバが、でん!とごはんのうえに載っていた。ど迫力。
見ればYくん、
弁当の前で正しく身を固くしているよう。
みんな、口にはしなくても、
いろいろなことを感じ、思っていたんじゃないかな。
ちなみに、わたしはといえば、
勝手でふとどきなことを思いはしても、
白茶けたイカの醬油煮を、その都度おいしくいただき、
家に帰って、弁当のおかずのことで、
母や祖母に注文を付けたことはありません。

 

・春の風ものみな右に靡くかな  野衾