ながいあいだお世話になった横須賀薫(よこすか かおる)先生が今月7日に
お亡くなりになりました。享年88。
先生と初めて会ったのは、
わたしが横須賀の高校で教員をしている頃でした。
四十年以上前のことになります。
林竹二さん、斎藤喜博さんと親しくされ、また教えを受け、
おふたりの教育思想を統合し実践することを念願とされているとお見受けし、
講師としてお招きしたのでした。
勤めていた学校の教員たちのまえで、
「横浜生まれの横須賀です」
と、横須賀先生は自己紹介されました。
その後、わたしは学校を辞め、東京の出版社に身を置きました。
そうしたら、
そこでも横須賀先生とのご縁がありました。
斎藤喜博校長のもとで研鑽をつんだ先生たちによる研究報告の冊子「島小研究報告」
を書籍化する仕事を、横須賀先生監修のもと、
させていただきました。
宮城教育大学の学長を退任されたあと、
先生は十文字学園女子大学の学長を務められましたが、
先生に乞われ、半年間、大学で講義を受け持ったこともありました。
いつも気にかけてくださいました。
出版人であることの特徴を生かし、
詩人、文学者、画家、書店員、装丁家を招いて、
話をしてもらったり。
仲間と春風社を起こしてからも、ご縁はつづき、
『新版 教師養成教育の探究』(2010年)
『斎藤喜博研究の現在』(2012年)
『教育実践の昭和』(2016年)
を出させていただきましたが、
昨年10月に刊行した『教師教育五十年 「ひよことたまご」の教育実践』
がさいごになりました。
会えば、いつもにこにこされ、
先生には申し上げませんでしたけれど、
先生を思うときは、
わたしはいつも、『となりのトトロ』に出てくる猫バスを連想しました。
茶目っ気があり、
チャーミングなお人柄がそう思わせていたのかな、
と思います。
ながきにわたるこれまでのご縁に感謝し、
つつしんでご冥福をお祈りいたします。
・潟を行く寒風山へ桜かな 野衾