稲刈り

 

父に電話できいたところ、
例年に比べ二、三日稲刈りが早まったらしく、
なおかつ
一反歩あたりの収穫量が例年より多いということで、
仕事疲れもふっとぶ勢い。
今夏気温がことのほか高かったのが
稲の実りにはプラスに作用したようです。
八月に米寿をむかえた父ですが、
歳をとっているとはいえ、
この時期の声がいちばんつよく張りがある。
「きょうはオロナミンCを三本飲んだ」と笑っていました。
疲れるとあちこち痙攣を起こすらしいのですが、
そうなったとき
オロナミンCを飲むと治ると信じ、
じっさい治るそうですから不思議といえば不思議。

 

・かなかなや社境内白装束  野衾

 

悪い句の見本

 

藤田湘子の『新版 20週俳句入門』を読んでいましたら、
以下のような内容を盛り込もうとすると
まちがいなく失敗する、
どころか、
俳句の体をなさなくなるとしています。
それは、
・道徳観、倫理観、教訓。
・理屈、分別臭。
・風流ぶり、気どり、低劣な擬人法。
・俗悪な浪花節的人情。

その悪い見本としてこんな句があげられています。

×蟬鳴くやこの世に命ある限り
×風化せぬ悲しみあらた終戦日
×蓑虫に似たるさだめか母老いぬ
×毛糸編夕日をひそと編みこめぬ
×薔薇咲いて恥ぢらひ我に教へけり
×小さき庭小さい秋の風生まる

藤田湘子は、
これらの句を俗悪であるとして手厳しく批判し
しりぞけています。
そういう句を新聞の投稿欄などで目にすることがありますが、
わらって他人事ですますわけにはいきません。
作句しているときに
ふとあたまに浮かぶこと間々あり。
自戒しなければ。

 

・かなかなや社のうしろとつぷりと  野衾

 

秋の日の…

 

仕事帰り社を出ると、こころなしか、ひんやりしている気がしました。
秋の日は釣瓶落としのことばどおり、
暮れるのも早くなりました。

 

秋 の 日 の
ヸ オ ロ ン の
た め い き の
身 に し み て
ひ た ぶ る に
う ら 悲 し。

……………

 

ポール・ヴェルレーヌの詩「落葉」の第一連。
ひたぶるにうら悲し。
ひたぶるに、
か。
上田敏の訳詩集『海潮音』に入っているものですが、
若いころは
こんなの見てもなんとも思わなかった
のに、
まったく、
季節の移り変わりとおんなじように、
いつの間にか、
「秋の日のヴィオロンの…」
とアタマをかすめ、
えーと、だれだっけ、
となるじぶんに驚いているじぶんがいます。
いまなら
もっとほかの訳もあるようですが、
すこし古風な上田敏の訳が秋のもの悲しさには合うようです。

 

・曉(あかとき)の光り跳ね入る鯔日和  野衾

 

アランの人間観

 

定理を一つよけいに学んだことは、偶然の出来事にすぎない。
定理を一つよけいに知っているために〔他人を〕軽蔑しようとする人々を見かける。
彼らはこうして、文章を三行読んだということで、
人びとの精神に一種の恐怖を植えつける。
だが、
さらに三行よけいに読んだ別の人がすぐさま見つかるもので、
これには限りがない。
これはまた悪しき無限である。
いっさいを知る人は、諸精神に固有な偉大さにおいて、
一事を知る人より偉大なのか。
これは疑問である。いやむしろ疑問ではない。
ソクラテスは、私たちが知っている多くのことを知らなかったけれども、
断じて小さな精神ではなかった。

 

上の文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.508、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
アランの『人間論』にでてくることばだそう。
米山さんのこの本には適宜引用がなされていますが、
いずれ『人間論』も読みたいと思います。

 

・友去りて呆けて居たり残暑かな  野衾

 

遅ればせの矢沢ファン

 

矢沢永吉さんのことですが…。
キャロル時代の頃から知ってはいましたが、
知っているだけ。
熱烈なファンが多いなか、
ただのファンでもなく、
たとえばカラオケで歌うことはなく、
たまに歌っているひとがいると、
顔から動きからすっかり“永ちゃん”になりきっていて、
ちょっと呆気にとられたり。
わたしが矢沢永吉を意識して聴いたのは、
彼が2012年のNHK紅白歌合戦に出演し、
「IT’S UP TO YOU」を歌ったのを見たときでした。
登場からはじまり、
歌っているときの姿、かたち、すべて目が離せませんでした。
オーラがほかの歌手とまったくちがって見えた。
すなわち、
カッコいい!!
その後、はじめて矢沢さんのCDを購入し、
ときどき聴いていました。
先日、
世話になっている鍼灸の先生のところへ行ったとき、
矢沢永吉の「ひき潮」を聴かせてくださり、
(先生、矢沢さんのかなりのファン)
歌がはじまった瞬間、
文字どおりザワザワっと鳥肌が立った。
いいなあ! って思いました。
それで今度は、
EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』のDVDを購入。
紅白歌合戦をのぞき、
歌う矢沢さんをちゃんと見たのはこれが初めて。
で。
ミック・ジャガーの動きになんと似ていることよ。
歌の途中の「ハイハイハイ」の盛り上げがサブちゃんの「まつり」みたい。
思わず笑ってしまう。
そしてその明るさ、エネルギー、向日性、
むむ、
だっ、だれかに似ている、
だれだ? だれだ? だれだ?
そうか、そうだ、
三波春夫!
E.YAZAWAはロック界の三波春夫だ。
なんて。
そんなのがファーストインプレッションで。
とにかく見る前と見た後では気分と体調がぜんぜんちがう。
元気になります。
というわけで、
超超遅ればせの矢沢永吉ファンです。

 

・かなかなや吾と社に降りなづむ  野衾

 

岩田書院の目録

 

1999年に春風社を創業して以来、
いつも参考にしている先輩出版社がふたつあります。
ひとつは無明舎出版。
ひとつは岩田書院。
無明舎出版から『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』という本がでていますが、
出版の仕事の裏表がありのままに記されており、
理想論でなくそれが道しるべとなり、
ブログに感想を書いて
そのことを岩田さんにお知らせしたところ、
ありがたいことに
岩田さんから連絡をいただき、
以来、
毎年の目録、
都度の『地方紙情報』『新刊ニュース』
を送ってくださるようになりました。
それがまたとても勉強になるのです。
今回送っていただいた『新刊ニュース』の裏だよりNo.1076に
「図書目録も終刊に」のタイトルで以下のような文章が載っていました。

 

この図書目録、作るのに150万円くらいかかる。@100円である。
それにたいする効果は、となると、????。 
以前は、学会販売の時などは、結構、図書目録を持っていってくれたが、
最近はほとんど見向きもされない。
「図書目録」は出版社の「顔」だ、と言われてきたが、
あまり お見せするような顔でもないので、ここらで目録も、やめにしようかと。

 

岩田書院は1993年の創業、岩田博さん44歳のとき。
それから二十六年ということになります。
目録を含め、岩田さんがどう考え、
どう判断しどうされるのか見守りたいと思います。

 

・かなかなや招ばるるごとく社まで  野衾

 

詩と記憶

 

トロイア戦争のことは忘れられる運命にあった。
忘れたくなければ、歌にしなくてはならなかったのだ。
詩というものは記憶の努力であり、
そして記憶の勝利なのであった。
今日でもやはり、詩というものはかならず、過ぎ去った事物である。

 

追憶を改めて見直し、追憶に別れを告げること、
それが人生の均衡そのものを保つことである。
それは自己を認めながらも自己から退くことである。
そこから、この進み行く追憶のうちにひそかな崇高の感情が生まれる。
それはすでに叙事詩的な動きである。

 

上の二つの文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.296、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
それぞれアランの『文学折にふれて』『芸術について』
にあるもの。
この本、
名古屋大学における米山さんの約十年間にわたる講義
がもとになっているもので、
読んでいて自然と講義を聴講した学生たちにまで想像が及ぶ。
この講義の単位取得後も参加してくれたひと、
大学院生になっても参加してくれたひと、
大学を卒業して教員になってからも顔を出してくれたひとまでいたという。
人気のほどがしのばれる。
この本を読んでいると、
教師だったアランの口吻までつたわってくるような気さえします。

 

・かなかなとむかしむかしへさそひけり  野衾