詩と記憶

 

トロイア戦争のことは忘れられる運命にあった。
忘れたくなければ、歌にしなくてはならなかったのだ。
詩というものは記憶の努力であり、
そして記憶の勝利なのであった。
今日でもやはり、詩というものはかならず、過ぎ去った事物である。

 

追憶を改めて見直し、追憶に別れを告げること、
それが人生の均衡そのものを保つことである。
それは自己を認めながらも自己から退くことである。
そこから、この進み行く追憶のうちにひそかな崇高の感情が生まれる。
それはすでに叙事詩的な動きである。

 

上の二つの文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.296、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
それぞれアランの『文学折にふれて』『芸術について』
にあるもの。
この本、
名古屋大学における米山さんの約十年間にわたる講義
がもとになっているもので、
読んでいて自然と講義を聴講した学生たちにまで想像が及ぶ。
この講義の単位取得後も参加してくれたひと、
大学院生になっても参加してくれたひと、
大学を卒業して教員になってからも顔を出してくれたひとまでいたという。
人気のほどがしのばれる。
この本を読んでいると、
教師だったアランの口吻までつたわってくるような気さえします。

 

・かなかなとむかしむかしへさそひけり  野衾