アランの人間観

 

定理を一つよけいに学んだことは、偶然の出来事にすぎない。
定理を一つよけいに知っているために〔他人を〕軽蔑しようとする人々を見かける。
彼らはこうして、文章を三行読んだということで、
人びとの精神に一種の恐怖を植えつける。
だが、
さらに三行よけいに読んだ別の人がすぐさま見つかるもので、
これには限りがない。
これはまた悪しき無限である。
いっさいを知る人は、諸精神に固有な偉大さにおいて、
一事を知る人より偉大なのか。
これは疑問である。いやむしろ疑問ではない。
ソクラテスは、私たちが知っている多くのことを知らなかったけれども、
断じて小さな精神ではなかった。

 

上の文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.508、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
アランの『人間論』にでてくることばだそう。
米山さんのこの本には適宜引用がなされていますが、
いずれ『人間論』も読みたいと思います。

 

・友去りて呆けて居たり残暑かな  野衾