人の心がわかること

 桜咲く細目涙の寅次郎
きのうは『男はつらいよ』第19作「寅次郎と殿様」を見ました。
真野響子さん、嵐寛寿郎さんが出ています。
タイトルからもわかるとおり、
嵐寛寿郎さんが扮する役どころは、
伊予大洲五万石、藩祖宗康様より十六代目の当主、藤堂久宗、世が世であれば、大洲の殿様に当たるお方。
その殿様の息子の嫁が真野響子さん扮する堤鞠子。
一年前に夫と死に別れた鞠子が、大洲にある墓を訪れ、
その日宿泊する宿で寅さんと出会う。
物思いに沈みがちに見える鞠子さんのために、
鮎の塩焼きを宿に頼んで出させたり、
土地の名物である川魚の佃煮をお土産に持たせたりする寅さん。
宿の女将に「旅先じゃ、なんでもねえ親切でも心にしみるもんだからよ。頼むぜ」なんて。
こういうところ、いいなぁ。
貧乏でも欠点だらけでも、人の心がわかる寅さんなのでした。
 桜木やアッという間のナポリタン

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70セット

 それを言っちゃあおしめーよ花見上ぐ
 以前勤めていた出版社では、復刻版を中心に、5万〜10万円のセットを200から300セット作っていた。わたしがいた頃だから、10〜20年前ということになる。
 刊行後100〜150セットぐらいが割りと早めに売れ、残りのセットを2、3年、あるいはそれ以上かけて売るという業態ではなかったかと思う。
 昨日、オンデマンド印刷をウリにしている印刷会社の営業マンが来られ、いろいろ聞かせてもらったなかに、この頃の復刻の話があった。
 200〜300セットというのは往時の話で、いまは60〜70セット作ればいいほう。ということは、作っても、すぐに売れるのは30セットぐらいかと思われる。
 復刻というのは、貴重な資料を眠らせず、だれの眼にも触れられるようにするという、出版業のある大切な部分を表現したものであるけれど、資料の閲覧ということでは、インターネットに飲み込まれても仕方がないのかもしれない。資料にプラスするアルファの価値をどこに持たせるかによって生き残りが決まる。なにも復刻版に限らない。
 思い出の男はつらいよ桜かな

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第三の男

 桜見てウツのこころを癒しけり
 こんな夢を見ました。
 マリナーズのイチローとわたしと知人の三人で、目的のものを探して歩いているうちに、ずいぶん遠くまでやってきてしまい、バスもなく電車もなく、だだっ広い丘陵と青い海があるばかりで、そろそろ日も暮れ、こころが折れそうになるのをやっと堪えておりました。
 マリナーズのイチローはチームの本拠地に近いらしく、イチローらしくカッコよく「じゃ、また」とさっと手を上げ、たったったったったっ、と駆けて行ってしまいました。
 知人と二人になったわたしは、気休めとは知りながら磁石を取り出して方位を確かめ、東に向かって歩くことにしました。
 しばらく行くと、漁師たちが集まっていました。群集の間から、黒いぶちぶちが不気味な茶色くぬめぬめと濡れた物体が動くのが見えました。
 もうそんなことに構っていられない気がして、知人を促し、走り出したのですが、この知人、だれだったのかが思い出せません。
 晴れ晴れし鼻を啜りて桜かな

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人生の営業マン

 春陰を天の口笛払ひけり
 『男はつらいよ』のDVD全48作を貸してくださる方がいまして、気の向くまま、好きなときに適当な巻を選び出して見るのがこの頃の楽しみです。
 きのうは、竹下景子さんが登場するシリーズ後半での傑作の誉れ高い第32作「口笛を吹く寅次郎」(1983年)。
 妹さくらの夫・博の亡父の三回忌で備中を訪れた寅次郎でしたが、ひょんなことから寺の和尚と娘の「口笛を朋子(竹下景子さん)と意気投合、二日酔いで腰が立たない和尚の代わりに法事をこなし、朋子に惹かれる寅次郎がそのまま寺に居ついてしまうという筋書き。
 第1作が1969年ですから、すでに14年経っています。寅さんも年取るわけだ。
 竹下景子さん、こんなに綺麗で魅力的だったんですねぇ。
 どの回もマドンナ役として、いわば旬の女優さんが登場しますが、山田監督はその魅力を最大限引き出しているのでしょう。
 しかも「口笛を〜」は、寅さんはもちろん「ほ」の字ですが、竹下景子さんに惚れられるというなんとも羨ましい話。
 婿養子として寺に入ることも考える寅でしたが、そんな簡単に坊さんになれるわけもなく、せっかく惚れられているのに、身を引かなければいけないという、本当に、男はつらいです。
 アスファルト破れ雑誌に桜舞う

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料理の楽しさ

 ラーメンにメンマたっぷり春の宵
 いっしょに作っていっしょに食べる、これ、ほんとうにたのしいですね。
 ニンニクの皮をむく、コトッ、コトッと包丁で葱を切る。グツグツ煮立つナベをじっと待っている、それぞれに匂いと音と感触があります。
 楽しいなあと思って立つせいか、このごろ台所には、いい気が満ちているようです。
「よーし、きょうはなにを作ろうか」の気も好きですが、「ごちそう様でした」美味しくいただいて、洗い物が済んだ後のシーンと静まり返った台所も好きです。
 昔、かまどの神様を祀っていたのも分かる気がします。
 さてと、今週末はナポリタン。最初はいつ食べたんだっけなあ。
 ちなみに下の写真は、知人の友人が作ったパンです。見るからに美味しそうなので、掲載させていただきました。
 楽しさの種を育てよ春の風

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楽しさの種

 缶ビール飲み干して後滴かな
 楽しさを感じるところは人それぞれだと思いますが、楽しさって、効率性みたいなこととは対極にあるような気がしています。
 世の中は、昔からそうでしょうが、どんどん便利になり、ますますスピードアップしていきます。それに触れたときの喜びや楽しさもあるにはあるのですが、いつもその喜びや楽しさに触れられるわけではありません。切りがないし、飽きてしまいます。
 その点、とりあえず面倒臭そうなことというのは、深い感じがします。
 面倒なことを避ける気持ちはもちろんあります。でも、そこをちょっと我慢して、焦らずに、一つ一つを味わうように体験していくと、なんとも言えず楽しいなあという感じがもたげてきます。しかも、微妙に毎回そのテイストが変化しますから病み付きにもなり、これはおもしろい、って、なります。
 はい。わたしは今、気功と料理のことを思い浮かべながら書いています。
 今日も読んでくださって、ありがとうございます。
 面倒を厭ふこころを春の風

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瞑想のたのしさ

 春の宵浮かれ調子で出てみたし
 朝晩の気功を始めてもうすぐ800日になります。
 元気になりたい、健康になりたいと思って始めましたが、おかげ様でそんなきっかけを忘れるぐらいになり、この頃は、朝晩のオヤツとでもいうのか、なんだか遊びみたいになってきました。
 体を動かしていますが、瞑想的な気持ちにもなりますから、気功はいわば動く瞑想とでもいった具合です。
 ちょっと乱暴ですが、瞑想のたのしさは、なんと言っても持たないことのたのしさを味わう、味わえることではないかと思います。
 理屈ではなく、気持ちいい状態で時空を浮遊している感覚になると、いろいろ持っているものが煩わしくなる、いや、これだとすこし乱暴すぎますね。ええと、気功を終えてしんなりと眼を開けます。すると、周りにいろんなものがあるわけです。アソコにもアソコにも。親しいものたちであるはずなのに、ちょっと違って見えるんですね。
 呼吸するも一の快楽なり、って、哲学者の西田幾多郎が書いていますが、たのしさを見つけたときの喜びというのは、ほんとに大事だなと思います。
 春の宵じっと止まる哀しさよ

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