やさぐれ

 伸び縮む餃子の皮を初夏の風
群馬県島小学校に斎藤喜博という人がいました。
若くして校長を務めました。
百年に一人でるかといわれ、
授業の神様といわれ、
斎藤さんの全集が国土社から出版されたとき、
ほぼ同時期に刊行された『太宰治全集』と同じぐらい売れた
という話を聞いたことがあります。
若き大江健三郎は、島小学校を訪れ見聞きしたことを、
みずみずしい感性でまとめています。
全国の先生方が、手弁当で島小学校を訪れ、
授業と学校を見学しました。
公開授業が終わってから、訪れた先生たちを交え、
研究会が開かれました。
その席上、廊下にゴミが落ちていたことを指摘した先生がいました。
どういうつもりで、その先生は質問したのでしょう。
全国に名をとどろかせている島小学校なのに、
廊下にゴミが落ちていたということで、
何か大事なことを発見したとでも思ったのでしょうか。
斎藤校長は、その質問に答え、
「あなたが拾えばいいではないですか」と言ったそうです。
良いところを見ないで、
欠点ばかりをあげつらい喜々としている人がいるものです。
そのことで何か真実をついているとでも思っているのでしょうか。
たとえば大江健三郎にしても、
廊下にゴミの一つや二つ見つけたかもしれない。
しかし、そんなことは敢えて言う必要のないことです。
欠点に鵜の目鷹の目となり、それを指摘し、
引きずりおろして喜ぶ暗い精神には、
結局人間は同じさという奴隷根性と、
それによって自らを正当化し学ぶことをしない
怠惰でやさぐれたこころが巣食っています。
 一陣の風ビールの泡を飛ばしけり

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