文章の芽

 藪中をアブ一匹狂ひけり
サラリーマン時代を含め出版社勤務が20年になり、
自分の中で、何が変ったかなぁと考えたら、
文章の書き方というか、
文章を書くときの心構えみたいなものかなと、
気づきました。
小学校の作文以来、文章を書くことは、
そんなに好きではありませんでした。
むしろ嫌いな部類だったと思います。
「嫌」の中身をいまさら分析しても始まりませんけれど、
書くことを頭の中でまとめてから書く、
これがけっこう「嫌」の中身を構成していたのかなと
いま思うわけです。
考えがある程度まとまって、書くことが出来てしまえば、
はっきり言って、別に書かなくてもいいのでは、
と思ってしまうのですね。
つまらないんですよ。
読んでくださる人の存在だけを恃みに
ここに駄文を弄しつづけてきましたが、
きのう社の寺地君に数えてもらったら、
5月23日までに2513回だそうです。
(5月23日は記念すべき小社10周年パーティーの日)
読んでくださる人がいるから
書きついで来れたわけですけれども、
おかげさまで、
考えがまとまってから書くのじゃない書き方が
身に付き楽しいのかなと、
他人事みたいですが思いました。
文章の芽を見つけ、キーボードをぱちぱち打つことが
鉢植えの草に水を遣るような具合です。
そういう気づきも、読んでくださる人がいればこそです。
ありがとうございます。
 茂り中脛の痛さ痒さかな

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