Archives : 9月, 2006

物語

 小社PR誌『春風倶楽部』第6号の特集「物語の可能性」へ原稿を寄せてくれた山田太一さんは、「人間はむき出しの現実になど耐えられないから、いつも物語を必要としている」とおっしゃっている。原稿をいただいたときは、そのとおり理解したつもりになっていたが、今、ふと思い出して噛み締めてみると、なんと切実な言葉なのだろうと驚く。物語なしのリアル、むき出しの現実というのは、怖くて目を塞ぐか耳を覆いたくなるようなもので、例えば、ムンクのあの有名な絵は、そういう人間のリアルな姿を表現していたのかもしれない。

誤算

 会社を興してから3年目で刊行点数が50点を突破したとき、1ヶ月の取次(トーハン、日販、大阪屋など、本の問屋)経由の注文が合わせて600冊ぐらいだったと記憶している。わが社はもとから学術図書中心の出版社だから、いわゆる流行物、季節物とはちがって、流行り廃りがない。はずだった。アイテム50で月600冊ということは、順調にいけば100で1200冊。200で2400冊。うひょうひょうひょうひょひょひょひょ… となるはずだったのだ。
 いま、そのアイテム数がいよいよ200に近づこうとしている。今日のタイトルと話の流れからしてすでにお気づきかと思うが、アイテムが200になろうとしているのに取次経由の注文は、予想に遥かに及ばない。それほど市場が冷え切ってしまったのか。はたまた学術書といえども流行り廃りがあるということなのか。
 100年読み継がれる本をつくるこころざしはこころざしとして、そのために、それが売り切れるまでに100年かかっていたら堪らない。
 専務イシバシが書店営業をして奥邃を案内したところ、ある書店の店長が、おたくの社長はよほどの資産家の生まれなんでしょうなあ。こんな、聞いたこともないような人の全集を出すんですから…と、まともに言われ、笑うわけにもいかず返答に困ったという。その話を聞き、ああ、おいらの家は資産家さ。田もあれば畑もある。秋田杉の山もある大富豪なのさとうそぶくしかなかった。とほほ。
 嘆いてばかりでも仕方がないので、『週刊読書人』に奥邃はじめ、哲学・思想関係の大広告をうちましたよ。お近くで入手可能な方は、ぜひ手にとって見てください。

妄想

 あこがれは数学。たとえば競馬。実際わたしは競馬をやったことがないから、もちろん妄想の域を出ないが、どの馬が一着でゴールするかを数学を用いて解けたら格好いいだろうなあと思った。その日出場する馬についてはもちろん、天候、土壌の具合、騎手の身長、体重、性格やら何やらをすべて事前に入力しておいて、アインシュタインみたいな天才的な頭脳でもって着順を割り出す。そんなことができたらなあと、けっこう真剣に考えていた。いまどきのコンピュータなら、それに近いところまでいけるんじゃないかしら。競馬は一つの例に過ぎないけれど、コンピュータでいろいろな問題を解こうとしている時代が今だとして、そうなると、ますますその間隙のところの言葉が重要になってくるような気もする。コンピュータで解けない問題を言葉がすくいあげる。
 でも、平行線は無限延で交わるなんてのは、数学よりも詩の言葉みたいだから、分けて考えるのは無謀かな。

あやまる

 ありがとうと感謝の気持ちを相手に伝えることは大事だし、それが人でなくても、たとえば自分の体やこころにお疲れさん、ありがとう、と日々の労をねぎらうことは、自分とゆたかにほがらかに付き合うための秘訣かもしれない。
 ところで、ありがとうと同様、大事な言葉に、ごめんなさいがある。このごろ見たり聞いたりした場面や話で、ごめんなさいに関わる素敵なエピソードをここで披露したいのだが、やはり差し障りがありそうだ。一般化して言えば、ごめんなさいと理屈抜きであやまることは難しい。なんで俺が、わたしがあやまらなければならないのさ、ならないのよ。あやまらなければならないのはあいつのほうじゃないか。事は「行列のできる法律相談所」の問題ではない。
 向こうに9割の非があり、こちらに1割しかないときでも、ごめんなさいとあやまれるか。なかなかだ。それでも言わなければならないときがある。ごめんなさい。ひとのこころはそういうことで動き始める。変に涙が流れてきてさ。悔しいみたいな気持ちもあるし。「上を向いて歩こう」は、そんなときにも合う歌かと思う。
 自分の非の率が低いと思っていて、思っているのに、ごめんなさいと素直にあやまれる人は偉い。

欽ちゃん

 テレビをつけたら欽ちゃんがでていた。旅番組で、北海道の紅葉を見にいくというもの。ゴールデンゴールズの問題もあったけれど、行く先々で出会う人々はみんな欽ちゃんが大好き。なんとなく見ていたのだが、ある場面で、さすがだなぁと唸った。
 ある店の主人は変り者、頑固者で通っている。タクシーの運転手からそう聞いた欽ちゃんは、さっそくその店へ。ドアを開けて入っていくや、店のご主人、「ああ、欽ちゃん」とは言ったが、「カメラは止めてください」と。取材は一切拒否なのだそうだ。ところがそれからの欽ちゃんの対応がすごい。「取材拒否だなんて、そんなことおっしゃらずに旦那、人と人との付き合いってことで…。ところで、何をつくっているの」と、カウンターの中へ入っていく。この辺のやりとり、前もって打ち合わせをしていたとも思えない。ご主人の断り方は静かだが断固たるもので、素人の演技であそこまでできるわけがない。そのうち近所のおばさんも加わって、「欽ちゃんがせっかく来てくれてそこまで言ってるんだから、いいじゃないか」。それでも店のご主人、ダメダメと手を横に振る。その間も、欽ちゃん、「へ〜、そうやってつくるの。へ〜。ところでこれは何?」と、実に巧み。あとへ引く姿勢を全く見せない。見ようによっては、強引。やりすぎ。無礼。ところがところが、ご主人、最後にとうとう折れて、「負けたよ」。
 となると、今度はこれも食べてみて、こっちも食べてみて、と次々に自分のつくったものを欽ちゃんに食べてもらおうと差し出す。人ってそういうものだねぇ。欽ちゃんも、頼みこんだ手前、負けじと口に入れては「洋風だね」とか「美味しいね」とか。垣根が取っ払われ、今度はまるで十年来の友人のよう。「ありがとね」と言って腹いっぱいになった欽ちゃんが店を出ていこうとすると、ご主人、欽ちゃんに握手を求めた。ご主人、ただ照れ屋なだけだったんだ。庶民派欽ちゃんの面目躍如。店のご主人がつくっているのは、クレープや大判焼き。中身は子供たちのリクエストにこたえて変ったものばかり。

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。