あやまる

 ありがとうと感謝の気持ちを相手に伝えることは大事だし、それが人でなくても、たとえば自分の体やこころにお疲れさん、ありがとう、と日々の労をねぎらうことは、自分とゆたかにほがらかに付き合うための秘訣かもしれない。
 ところで、ありがとうと同様、大事な言葉に、ごめんなさいがある。このごろ見たり聞いたりした場面や話で、ごめんなさいに関わる素敵なエピソードをここで披露したいのだが、やはり差し障りがありそうだ。一般化して言えば、ごめんなさいと理屈抜きであやまることは難しい。なんで俺が、わたしがあやまらなければならないのさ、ならないのよ。あやまらなければならないのはあいつのほうじゃないか。事は「行列のできる法律相談所」の問題ではない。
 向こうに9割の非があり、こちらに1割しかないときでも、ごめんなさいとあやまれるか。なかなかだ。それでも言わなければならないときがある。ごめんなさい。ひとのこころはそういうことで動き始める。変に涙が流れてきてさ。悔しいみたいな気持ちもあるし。「上を向いて歩こう」は、そんなときにも合う歌かと思う。
 自分の非の率が低いと思っていて、思っているのに、ごめんなさいと素直にあやまれる人は偉い。