全巻読破

 「春風倶楽部」第13号特集のテーマは「全集の魅力」。『新井奥邃著作集』がめでたく全巻完結したこともあって、そう決めた。
 若い頃は、わたしもいっぱしの読書家きどりでかなりの数の全集を持っていた。最初の巻からはじめて半分超えた全集もあれば、まともに1冊も読まないものもあった。宝の持ちぐされで、今も持っているものもある。途中で古本屋に売ったものもいくつか。
 全集を買い、片っ端から読もうとして挫折したのも今から思えば若気の至り、恥ずかしくもあり、ひとり苦笑せざるを得ない。そのように、あまり華々しくない全集人生のなかで、わたしが最初の巻から最後の巻まで、義務感に駆られてではなく日課として読んだ全集がある。当時、国土社から出ていた『斎藤喜博全集』がそれだ。
 林竹二のような授業をしたくて教師になったのに、毎日、砂を噛むような授業しかできずに不甲斐なく帰宅するわたしを、斎藤さんの文章はどれだけ勇気づけてくれたことだろう。それこそ手帳を繰るように読んだと記憶している。それでも授業は相変わらず。なかなか納得できるところまではいかなかった。ところが、斎藤さんの言葉には他では得られない力がこもっていて、毎日読みつづけた。最終巻が読み終わる頃、ようやくぽつぽつと生徒に届くような授業ができるようになった、と言いたいところだが、そんなにうまくはいかなかった。当時のわたしとしては、日々、苦労の連続だったから、全巻読破できたのだったろう。
 ところで斎藤さんの全集は、最初の全集が出た後(いずれも生前に出ている)で書かれたものが第?期としてまとめられ、出された。それももちろん買って読み始めたが、こちらのほうはどういうわけか全巻読破とまでは至らなかった。