棒になっても三浦さんは三浦さんなのだと友人から賛辞(?)をおくられた。棒か。
 棒になった自分を想像してみる。枯れ枝かなにかの木切れの棒が道端に転がっていて、そこいら辺の犬にひょいとくわえられたりして、適当なところまで運ばれたと思ったらポイと意味もなく捨てられてか。そんな棒。
 棒はひとりでは立てない。人間もひとりでは生きられない。教訓にもならないが。が、ここに30センチほどの棒があるとする。とりあえず役に立たない。でも、その棒を巧く放ると、縦に回転しながらずいぶん遠くまで達することもある。水面に石を投げ数十回もジャンプさせるのと同等の美しさでもって縦にトントントン……と。ただそれだけのことだけど、人の手を借りれば、棒にだってそれぐらいの軌道は描けるのだ。