わたしは二度と戻らない

 ポーランドの鬼才演出家タデウシュ・カントールの芝居を見た帰り、いっしょに行った友人とふたり横浜までは同じ電車だったはずなのに、何を話したのかさっぱり憶えていない。何も話さなかったのかもしれない。それぐらい衝撃的な芝居だったということで。わたしは二度と戻らない。十六年も前の話だ。
 多分にカントールの自伝的要素の入った芝居で、エピソードをつないだものだったと記憶しているが、そこは何と言ってもカントール、時間が不可逆なものであることを嫌というほど見せつけてくれた。でも、今から思えば、まだまだ理屈として時間の不可逆性について頭をガツンとやられた程度に過ぎなかった気もする。
 わたしは二度と戻らない。試しに机の引き出しの奥か、鞄のポケット、あるいは箪笥のなかを少し丁寧に見てみるがいい。かつての恋人と撮ったものでなくてもかまわない。家族写真、クラスの集合写真、社員旅行のときの写真などなど、ひょいと出てくることがある。そこにわたしも写っていたりして、確かにそういう時があったと分かる。写真の下には日付まで記載されている。それなのに、しみじみとちぐはくな感じに襲われるのだ。時間の不可逆性などと知ったふうなことを思っても、こころの落ち着きは得られない。ざわざわとして、生きることはせつなく苦しい。後で知る、後でしか知れないからよけいだ。