自分

 自律神経という言葉もあるくらいだ。自分と思っているものがコントロールできないとすれば、それを自分と言っていいものか疑ってしまう。意識してコントロールできる部位は意外に少ない。
 疑う自分は疑い得ないということにしたって、相当に怪しい。哲学というようなことは、とりあえず置いといても、気分も感情も、思考も、ほんとうにコントロールできる人がいるだろうか。そういう人がいるとすれば、よほどの人生の達人か、馬鹿か、どっちかではないかと思う。だれが自分をコントロールなどできよう。縁や巡り合わせや、目に見えない大きな力に導かれて、気分も感情も思考も体も働いている。なんと、はかないのだろう。とすれば、自分はいったいどこにいる。
 坂道を上りながら、あんなにいい月をと眺めているとき、ひょっとしたら自分は限りなく透明になって、だれかがわたしを通してあんなにいい月と愛でているのかもしれない。それとも、月明かりに照らされた遥か向こうの丘の上にたたずむ人影が自分で、こっちが自分の影だったりするのかな。