不調の代償

 昨年の九月頃より若干の体調不良に悩まされ、酒を断ち、暴食を控え、健康を気遣うようになった。好きだったカラオケもさっぱりやらなくなった。ところが、今夏、秋田に帰った折、いつもの気の置けない仲間が集まり、そこでも酒は頑固に断りつづけたが、歌までやめたとは言い難く、すすめられるままにサザンオールスターズの歌を何曲か歌った。一年ぶりに歌う歌は、われながらなんともひ弱で危なげで、いかにも声量に乏しい。どうにかごまかして最後まで歌い通した。声量たっぷりに、ほとんど叫ぶがごとくに歌うのがわたしの歌唱法といえば歌唱法だったのに、これでは自分の歌ではもはやないと、なさけなくなった。なのに、そこは幼なじみ、気を遣ってか、さすが三浦君とかなんとか誉めそやしてくれる。おだててくれる。おだてに乗るものか。わかってるよわかってるよ。声量もなく、どうも心細げに歌うおいらのことを気遣ってくれているのだな。慰めてくれなくったっていいさ。ふっ。そんな調子で自嘲気味に自閉の扉を固く閉め切り、自分の殻に閉じこもろうとしたのだが、カウンター席であっち向きに座って飲んでいたグループの見知らぬ数名が振り向いて拍手してくれた。さらにリクエストまで! 悪い気がしなかった。体調は相変わらず、というか、最悪。しかし、そういう不調の状態で思ったのは、声量が落ち、さらに自分で一番よくわかるのだが、歌も下手クソになっているのになぜウケたのかということ。そして気がついた。味か。そうだ。そうに違いない。長引く体調不良で、能天気にこれまで生きてきたわたしの歌にきっと、そこはかとない枯れた味が加わったのだと。そうとしか考えられない。あはははは…
 というような話を昨日、専務イシバシと武家屋敷ノブコにしたら、イシバシは顔を真っ赤にし、自慢、自慢とわたしを指差し、二の句が継げずに笑い転げている。ヤマギシはといえば、そんな体調不良の中でそんなことを考えていたのと呆れ顔。元気になった証拠よと二人とも喜んでくれた。二人の姿を見ながら、わたしは自分のことを思っていた。馬鹿は死んでも治らないと。