いい本について

 いい本は売れないと言われるようになって久しい。というか、昔から言われてきたようだ。最近それが甚だしい。われわれもそれにならって、いい本は売れない、いい本は売れないと、ねじれたプライドをこころに秘め、馬鹿の一つおぼえのように繰り返している。暑いときに「あちー」と言ったからといって涼しくならないのと同様、いい本は売れないと唱えたからといって、売れないいい本が売れるようになるわけではない。でも、言う。周りから、春風社はいい本を作るとお誉めの言葉をいただく。誉められて嬉しくないはずはないけれど、いい本は売れないことになっているから痛し痒しで、お誉めの言葉が空しく響くこともある。
 そもそも、いい本というのはなんだ。読んでためになる本。泣ける本。笑える本。泣けも笑えもしないし、ためにもならないが、なんだかしらないが、いい本。いずれにしろ、いい本というのは、読んで初めていい本だとわかる。読む前からいい本だとわかる人は誰もいない。あたりまえ。しかし、ここが最大の問題だ。
 というのは、どうも最近は、読む前から世の人々に何かが伝わっていないといけないようなのだ。その何かを確認するために読む行為があるとでもいうような。本づくりは難しい。ますます難しくなってきた。読んでもらえば必ず読者に何かが伝わるはずの本を、どうやったら手にとって読んでもらえるか。ここが思案のしどころで、宣伝広告費をばんばん掛けられる出版社(そういう出版社があるのが不思議)ならいざ知らず、そうはできないところが小社のアキレス腱。工夫のしどころがここにある。