トカゲ

 暑い日がつづき頭も体もおかしくなりそう。本当は帽子を被ればいいのだろうが、少年と老人以外の男は帽子を被っていないので、ぼくだけ目立つわけにもいかないから、なるべく日陰をさがしてチョロチョロ歩いている。陰が一つもないさっぱりした道はつらい。
 チョロチョロといえば、きのう、保土ヶ谷駅の上りホームで電車を待っていたら、焦点の合わぬ眼に何やら動くものが映った。ハッとして半歩しりぞき焦点を合わせると、トカゲ。トカゲが線路脇のコンクリートの穴から這い出してきてすぐ横の別の穴にもぐっていった。こいつも暑いらしい。
 わたしと同じで帽子を被るわけにはいかない。トカゲが帽子を被ったらおかしい。変だ。食べ物なら、すぐそばにスーパーやハンバーガー屋やどこにでもある和食のチェーン店があるから困らないだろう。が、線路脇にできた穴では涼を取ることは難しい。時々這い出してきて、こっちの穴からあっちの穴に移動するとき、束の間、日陰の風に身をさらすぐらいが関の山だろう。
 そのうち上り横須賀線の電車がホームに入ってきたから、トカゲが今どうしているのか見極めるわけにもゆかず、もはや想像するしかなかった。車内がクーラー利いている分、車外は熱風。それでなくても太陽にさらされた車体は触れないほど高温になっているだろう。ホームに電車が停まっているあいだ、トカゲは必死に身を潜め、電車が出ていったとなったら、涼を取るため、またチョロチョロと穴から這い出す…。お前もか。なんて。俄然親近感が湧いた。

前川清

 帰宅後テレビを付けたら前川清がデビュー曲「長崎は今日も雨だった」を歌っていた。彼はむかし、内山田洋とクールファイブというグループのボーカルだった。前川のほかに、クールかどうかは知らないが、前川の後ろで5人がときどきアワワワ〜♪とかいって、口三味線みたいなことをしていた。前川があの独特の縦皺を眉間にこしらえ熱唱している後ろで、5人は割りと暢気そうに見えた。
 それはともかく、あの頃の前川清はカッコ良かった。今のコミカルな彼からは想像できない。1969年。ぼくは12歳。当時の前川は、テレビに出ているというのに歌う以外は全くしゃべらなかった。司会者がマイクを向けてもしゃべらなかった。幼いわたしは幼いなりに、男というのはこうでなければならないと思った。男の中の男! わたしはどちらかというとお調子者でキャッキャと騒ぐほうだったから…。子供の浅知恵で前川清の真似をして次の日から一切口を利かないことにした。そうしたら「どうした。腹でも痛いか」と無理解な担任の先生が心配して声を掛けてくれた。男のダンディズムがこの先生には分からないのだと思った。前川清の真似は一日ももたなかった。無口を押し通すなんてとても無理。すると、無口な前川清がますますカッコ良く見えた。
 その後、前川清の無口は本質的なものでなく、テレビ的なものだと知った。無口どころかひょうきんで、むしろよくしゃべる人だった。が、それはもっと後のこと。話を戻して1970年。氷が溶け出すごとくに前川清の重い口が少しずつ開かれるようになっても、あこがれがガラガラと音を立てて、というほどのことはなく、無口な前川が無口であろうがなかろうが次第に関心が薄れ、中学に入ったわたしは、好きな娘ができたり勉強させられたりで身辺にわかに忙しくなった。
 1971年、前川は藤圭子と結婚。しかし、わたしにとってそんなことはもうどうでもよく、かつて、といっても二年前、あんなにあこがれていたのが嘘のようだった。そうなったのには理由がある。若さはもちろんだが、既に解散していたというのにビートルズの熱風がようやく秋田の田舎にも吹き始めていたから。ヘイ、ジュ〜♪ もはや日本の歌など聴く気になれなかった。

一生わがまま

 DVDまるまる2時間『ザ・マイルス・デイビス・ストーリー』を観た。
 バックに流れる曲はほとんど知っているし、登場人物も、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーから始まり、クラーク・テリー、ジミー・コブ、シャーリー・ホーン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、デイブ・ホランド、ジャック・デジョネット、ジョー・ザヴィヌル、キース・ジャレット、チック・コリア、ジョン・マクラフリン、デイブ・リーブマン、マーカス・ミラーなど、往年の名プレイヤーから現役バリバリミュージシャンまで入れ代り立ち代り現れマイルスとの思い出を語り、飽きさせない。マイルスの物語なのにジャズの歴史をドカン! とまとめて見せられるようで楽しめた。
 することなすことわがままなマイルスだったが、思い出を語る名うての演奏家たちの語り口から、彼らがそれを今も宝物のように大事にしていることがよく分かる。
 マイルスの最初の奥さんで、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』という恥ずかしくなるようなタイトルのアルバムジャケットに写真が出ているフランシス・テイラーによると、マイルスはとても嫉妬深く、あっちのほうも強かったらしい。
 ミュージカルダンサーだったフランシスはマイルスのために結局ダンサーを辞めることになる。自分の妻が客の脚光を浴びることに我慢ならなかったのだろう。わがままも相当なもので、ある時、ミュージカルのリハーサル最中に電話がかかってきて、昼の休憩時間に一緒にメシを食おうという。説明しても分かってくれる相手ではない。休憩は1時間。急いで駆け付けたが食事はなし。なんのことはない「結局満足したのはマイルス一人だけだった。アハハハハ…」って、なんだ、そういう艶っぽい話か。
 「最初の二人の息子とは終生和解することはなかった」と娘さん。娘さんのことは可愛がったのだろう。「いろいろあったけど、最後は水に流して子供たち全員に遺産を平等に分けてくれるかと思ったのに…」とも。ともあれ、あっぱれなわがまま人生ということになろうか。