記憶の形

 向日葵の坂を曲つた先の海
 秋田のわたしの実家は仲台というところにある。海抜どれぐらいの土地なのか調べたことはないが、名前からして高台であることは間違いない。そこからさらに奥山に向かって1時間も歩くと、ニホンカモシカや熊がよく出る大台というところに着く。大台出身の子供たちはみな長距離走が得意で、運動会がある度いつも上位の成績を収めた。
 大台の子供たちほどではないが、小学校時代わたしも毎日長い坂を上り下りした。どんなに高熱が出ても、伝染病に罹っても、親は学校を休ませてくれなかった。だから、休みたいと思ったことはない。学校は行かなければならなかった。
 くねくね曲った長い坂道を六年間歩いたことになる。低学年の頃は上級生の先導のもと、ニ列になって登校した。帰りは友達と歩いたり、急に用を足したくなって脂汗を流しながら家路を急いだこともある。足裏から伝わる坂の傾斜はわたしの記憶の形を作った。
 高校を卒業し秋田を出てから十回ほど引越したが、どういうわけか高台が多い。家に着くには坂を上らなければならない。
 横須賀に就職が決まり、引越しを手伝った父は、よりによってこんな不便なところに家を借りる馬鹿があるかと怒った。そこからは猿島からはみ出すほど巨大な米空母が見えた。
 気功を始めてから半年が過ぎた。裸足でも靴を履いても足裏がぴたりと地に張り付く感覚がある。足首がゆるみ、膝、腰がしなう。頭で思い出そうとしなくても、いろいろなことが思い出されてくる。味によらず、匂いによらず、足裏の記憶とでも言えようか。それを言葉にしようとするとき、あるシーンとなって浮んでくる。二音、三音の組み合わせによる五と七の音と言葉は、それを留めるのに相応しい気がする。新鮮で面白くも感じられる。俳句みたいな俳句でないものをここに載せているのはそういう訳です。
 いつかちゃんとした俳句になってくれればと願っているけれど、急ぐ必要はない。今は、足裏の感覚と初源の言葉の結び付きを、味わい、確かめるだけで十分だ。
 喧嘩して肩に重たきランドセル
 熱き砂たたずむは誰ぞ四十年
 燃えており叔母さんの胸ホタル狩り

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