完成!

 全10巻を予定し会社創業の年に始めた『新井奥邃著作集』(第1回配本は2000年6月)は、今回の別巻をもって完結した。監修していただいた工藤、コールの両先生には、届いたばかりの別巻をさっそく送った。
 別巻の目玉はなんと言っても、本巻に収録されている奥邃の言葉が聖書のどの箇所にあたるかを一覧にしたもの。これは、コールさんでなくてはできない仕事だったと思う。仮に10年聖書を研究したからといってできる業ではない。奥邃は、文章を書くとき、いちいち聖書のどの箇所に基づきなどと断っていないからだ。聖書がいわば自家薬籠中のものになっている。
 コールさんのご父君は牧師として日本に来られ、コールさんは日本で幼少年期を過ごした。高校・大学はアメリカだったが、縁あって日本に就職。そういうことを考え合わせると、今回のこの仕事、コールさんの労作には違いないが、ご父君、ご先祖が聖書に親しんできた時間がコールさんに流れ込み、この仕事を支えたとも言えるだろう。
 日本の初代文部大臣である森有礼は、奥邃の人物をみて、彼にアメリカ行きを指示した。キリスト教を学ぶためだ。滞米28年にも及び、帰国後は巣鴨で静かに暮らした奥邃だが、田中正造をはじめ、高村光太郎、柳敬助など明治・大正期の文化人に圧倒的な影響力をもつようになる。さて、その思想の核心はどういうものだったのか。
 この期にあたり、小社から『ナショナリズムと宗教』の著作もあるインド研究家の中島岳志氏が、昨日の毎日新聞夕刊のコラムにそのことに触れ、書いてくださっている。ありがたい! 「山の頂上は一つである。しかし、そこへ登る道は多様だ。これと同じで、真理は一つだが、そこへ至る道は複数存在する。宗教の違いは、道の違いであって、真理の違いではない」というガンディーの言葉を引きながら、このような思想を近代日本で唱えたキリスト者が新井奥邃であるとして。写真はもちろん、一切の肖像画を許さず、墓も作るなと言い残した奥邃について、これほど簡にして要を得た説明はあるまい。
 わたしは今、教育学者の林竹二氏が生前語った言葉を思い出している。ほかの動物と違い、人間だけが外にあるものを取り入れ、自己の生きる力としていける…。漢文調で書かれた奥邃の言葉に近代百年の時間が流れ込んでいる。