ありがとう竹内敏晴さん
演出家の竹内敏晴さんが今月七日、膀胱癌のため、
亡くなられました。享年八十四。
先月二十九日、竹内敏晴構成・演出の『八月の祝祭』が
東京で行われました。
わたしは開演に五分ほど遅れて会場に着きました。
重いドアを開けたら、
車椅子に乗った竹内さんが舞台挨拶をしていました。
あまりの変わり様に驚きました。
体調が悪そうで、挨拶半ばで退場し、
スタッフの一人が竹内さんの原稿を代読しました。
二時間半の舞台が終わって、会場を出ると、
車椅子に座った竹内さんがそこに居ました。
受付のところの数名のほかは、まだだれも居ません。
わたしはすぐに竹内さんに近づき、握手しました。
竹内さんは、黙ってわたしを見ました。
小さくなった竹内さんに驚き、なんと声をかけたらいいか分からず、
わたしは手を離し、隅のほうへ行きました。
やがて会場からどやどやとお客さんが出てきて、
竹内さんに挨拶をしています。
わたしはしばらく
竹内さんとお客さんたちのやり取りを見ていましたが、
竹内さんは頷くばかりで、ほとんど口を開きませんでした。
よほど具合が悪いのでしょうか。
誰かが「今日の舞台良かったですよ」と声をかけたとき、
竹内さんは、指でサッと涙をぬぐったようでした。
わたしは竹内さんの奥様と少し話をした後、
もう一度竹内さんのところに行き、しゃがんで、手を握り、
お礼をいいました。
竹内さんは、わたしの手を握り返し、
また、黙ってわたしを見ていました。
いけないいけないと我慢しましたが、
涙がこぼれてきて仕方ありませんでした。
竹内さん、竹内さん、竹内さん、竹内さん、と声をかけながら、
竹内さんの膝や脚をさすりました。
これが竹内さんとの最後だと直感しました。
それから一週間で竹内さんは旅立たれてしまいました。
いただいたものが多すぎて、言葉になりません。
仕事を通じて、少しでも形にしていけたらと思います。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
僕が春風社の存在を知ったのは、仙台の丸善で見つけた『待つしか ないか』という、木田元さんと竹内敏晴さんの対談集を通してです。
竹内さんの本は前から存じており、『言葉がひらかれるとき』を読んだ時はぼう然とするほど感動しました。僕は小学校の頃からずっとドモリでした。今でもその傾向はありますが、彼の言葉と身体についての文章を読んで深く納得するものがありました。いつか春風社のみなさんとお会いした際、今度レッスンへいらっしゃいませんかとお誘いいただきましたが、その時は、もし竹内さんにお会いしたら、僕の声を聞いて、僕の人生も僕の思想も僕の全てのどうしようもない浅薄さを、きっと見透かされてしまうだろうという畏れもありました。
でもその機会は永遠に失われました。悲しい気持ちです。
そうでしたか。
三浦さんから、「からだ」について考えるに当たっての基本的文献として、竹内さんの『ことばが劈かれるとき』を勧めていただいたのがつい二ヶ月前。そして初めて竹内さんの著書に接し、竹内さんの声に文字通り撃たれるような衝撃を受けました。
その衝撃をエネルギーにして『イーリアス』における身体について考え、文章化する作業をしていたところです。ひょっとして竹内さんにその拙文を読んでいただけるかもしれない、仮にそうなっても恥じないものを、と思いつつ。深瀬さんが言われるように、生半可なものは「見透かされてしまう」でしょうから。しかしこの夢想も適わぬこととなってしまいました。
こころよりご冥福をお祈りします。